<1> 中華民国・北京駐在武官事務所(1928年)

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 陸軍大学校を卒業した者にのみ与えられる卒業徽章が江戸末期発行の銭貨「天保通宝」に形が似ていることから、陸大卒業者はいつしか「天保銭組」と呼ばれるようになっていた。反対に「無天」とはつまり、天保銭を持たざる者、の意である。現代省庁に擬えて言えばキャリア組かノンキャリアか、と言えば分かりやすいだろうか。 「またまたこの北京に『天保銭(てんぽうせん)組』のお出ましかぁ。半年ぐらい海外勤務積ませて経歴に箔つけるつもりでしょうかね」 「さあな」  事務仕事がひと段落ついたのか、暫し黙っていた黒部が呑気な声を張り上げ、ううンと伸びをした。  実充の返事は苦い。 『天保銭組』という言葉は『無天』の実充にとってチクリと胸の痛む異名だからだ。  軍部の人事は常に天保銭組を優遇して行われる。将来的な将官への栄達もほぼ約束されているといっていい。というより陸軍の主要ポストは慣例的に全て天保銭組が占めていた。     無天で少将以上に上がれるのはよほど武勲に恵まれた1%の者ぐらいで、大抵は中佐どまり、うまくすれば聯隊長クラスである大佐まで昇進できる者もいるがこれとて一握りのこと。どちらにしろ一生を原隊勤務に捧げて歳をとれば予備役編入、が常道だった。運よく参謀本部附き将校になれたとはいえ、実充の将来もこれでは予想がつくというものである。  実充が、「竹馬の友」というには程遠いが十代の陸幼、陸士時代を共に過ごしたはずの南泉郁巳に会いたくない理由のひとつがまさにこの「天保銭」であった。  南泉が陸軍大学校で軍閥エリートとしての英才教育を受けているその頃、実充は日本を離れ北京に赴任した。あれから丸三年……。家柄などにこだわりはなかったはずの実充だが、天保銭の徽章をつけた南泉と今後再会すれば、否が応でも天の采配の不公平を思わずにはおられないだろう。  没落士族の三男坊で、俊英コースの道を辿る前から閉ざされた無天のおのれの不甲斐なさと、  正真正銘の華族の跡取りで、おまけに容姿端麗、天保銭組として華々しい栄達を約されたあの男の、天賦の才色とをだ。
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