分厚いアルバム

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 仕事柄、お盆の時期は忙しくなってしまう。  しかし幸いなことにいわゆるブラック企業ではないためか、早めに纏まった休みをもらえるので実家に帰省することにした。  自分の部屋はまだあるものの、社会人になり独り暮らしをはじめてかなりの年月が経過しているので、これを機に整理してもいいかもしれない。父親の夢だった書斎として使ってもらうのもある種の親孝行だと思うし。  ゴソゴソと部屋をひっくり返すと懐かしいものがたくさんでてくる。作業が停滞しがちなのは誰しも同じだ。  分厚いアルバムを発掘して中を確認しない人は稀有だろう。終わりあたりを開いてみるが、そこには何も貼られていなかった。これだけの厚さがあるし、ある程度成長したら写真を撮られることも少なくなる。余ってしまったんだろうな。  中ほどを繰ってみると、そこには幼い頃の自分が収められていた。 「ははーん、赤ちゃんの頃は写真を撮りまくったけれどもすぐに飽きたのか」  考えてみると、あまりレンズを向けられた記憶がない。被写体が人でも動物でもそういうものなのだ。一部例外はあるだろうけど。  思い切って最初のページを開くと、そこには猿を写したものがある。  猿? 赤ん坊の顔は猿に似ているとは聞いているが、そのものではない。どういうことだろう──  順番に捲るのではなく、がさっと進んだところを開けるとそこには昔歴史の授業で習った記憶のある弥生時代の姿の男が。同じように繰ってみると侍姿の男が。  だんだん怖くなってくる。これは自分のアルバムではない。どういうからくりかは不明だが、あきらかに先祖代々の姿が収められているのだ。  そして、最初に開いた後ろのページには何も写されていない。これが意味することを考えると背筋が寒くなった。その原因を作るのは自分なのか、それとも何世代か後の人間なのか。はたまた外的な要因で人類そのものがいなくなっているのか──  考えるのを止めて作業を続行しようとはするものの、どうしてもさっきのアルバムが気になって進まない。捨てる気になれない。そうなると他の処分も面倒くさく感じてしまう。  結局、部屋を父に明け渡すことなく実家を後にしてしまった。
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