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「野次馬どもめ」
私は小さく吐き捨てた。心の中で、小さく灯すように現れた不安をかき消すために。
仕方が無い、家に帰ってつまらない妻の顔でも拝むとするか。
「まぁ今日はお帰りになられたのですね。いつものように朝になるものだとばかり……お食事は待って頂けますか」
妻の顔と台詞が浮かぶ。
だが油断するとその顔と台詞が、頭から霞のように消えていきそうになり、私は必死に必死に思い出しながら家へ向かった。
「奥さんの事大事にしろよ」
一緒に飲んでいた同僚の言葉を思い出す。「孝行したい時に親は無し。これは何も親だけの事じゃないぞ。もちろん奥さんの事だけでも無い。本当に大事な物なんて失ってから気付くんだ。素直になれよ」
「五月蠅い奴め、放っておけ」
私は確かそのように返したはずだ。そんな私を奴は鼻で笑い、こちらも見ずに言った。
「まぁ後悔の無いようにな」
そう呟く奴の目はどこを見ていた? あの虚ろとも言えるうろんとした目先に、何もありはしなかった。くそ、あいつめ。こんなに不安な気分になるのはあいつのせいだ。そうだ、あいつが変な事を言うから余計な事まで考えてしまうんだ。
心の中で同僚に悪態をつき、足を速める。途中の商店街に入った時、ある言に気づいた。
街に誰も居ない、人っ子ひとり居ない。いくら陽が落ちたからとは言え、誰ともすれ違わないなど有り得るのだろうか。
灯された不安は冷たい炎となり、私の心を包み込んでいった。
頼む、頼む、頼む。
急ぎ足がいつのまにか駆け足となり、商店街を駆けて、路地を抜ける。家に着くまでの間、誰一人ともすれ違う事は無かった。
「おーい! 帰ったぞ!」
勢い良く玄関を開き家中に響くよう叫んだ。
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