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『わかった。待ってる』
「うん……うん、急いで行く!」
『花火が始まるのは暗くなってからだから急がなくても大丈夫だよ。出店も出てるし、みんな適当に時間潰してるからさ』
「わかった。でも、急いで行くから!」
勢い込む健太の様子に内藤は一瞬黙ったが、「気をつけて」と健太を気遣う優しい声がスマホの向こうから聞こえた。
通話を終えて、床にしゃがみ込んだままの健太が手の中の携帯をじっと見つめる。
「待ってるって。内藤、俺のこと待ってるって言った」
耳に残る内藤の声。声変わりはしたはずなのに、まだ幼さの残る健太よりも低くて、落ち着きのある声で言われた「待ってる」という言葉を思い返し、健太の頬が緩む。
たとえそれがただの友達に対して向けられた言葉だったとしても、水泳部に入部するまで内藤のことを遠くから眺めることしかできなかった健太にとって、こうやって彼から言葉をかけてもらえるだけで浮かれた気持ちになってしまう。
「あ、時間」
けれどそれも一瞬のことで、健太は再度、本棚に置いてあるデジタル時計に目をやると、ベッドの上に放り出された洋服の中から適当に掴んだ一枚を頭から被った。
財布と携帯を入れたボディバッグを肩に提げ、最寄駅に向けて自転車を飛ばす。
内藤は急がなくてもいいと言ったが、健太の頭の中は内藤に一秒でも早く会いたいという思いでいっぱいで、自転車のペダルにかけた足に自然と力が入る。
駅のホームへの階段を駆け上がり、発車寸前の電車に転がり込むように乗り込んだところで、健太はTシャツの胸元を押さえながら息を整えた。
(大丈夫)
電車内はそこまで混み合っていないし冷房も効いている。なのに健太の額にじわりと汗が浮かぶ。
(大丈夫、大丈夫)
息苦しくもないし、胸に痛みもない。胸にあてた手のひらへ鼓動もちゃんと伝わっている。
健太はふうっと息を吐くとドア横の手すりにもたれ、窓から外を眺めた。見なれた景色が右から左へと流れていく。
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