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閑静な住宅街を抜け、ひたすら車を東に走らせると、十分ほど経つ頃にはある館が見えてくる。
いくつもの一軒家に囲まれた母屋は、まるで小山のようだ。
おおよそ個人の住まいとは思えない敷地面積を有するその館は昔、山をひとつ均(なら)して建てられたという。
背の高い塀に沿って進むと、裏門の前にちらりと人影が見えた。大きな黒い犬を連れている。どうやらお散歩の途中だったらしい。
運転手に車を停めてもらい、私は手土産を片手に車を降りた。
「お姉様!」
お会いするのは三カ月ぶりだ。
互いに多忙なスケジュールの中、すれ違いの日々が続いていた。
「久しぶり、旭(あさひ)。早かったね」
「ごめんなさいお姉様。でも、一刻も早くお会いしたくて……」
飛びかかってくる狼のような犬を、サッとかわす。人形のように華奢で均整のとれた肢体を、私は思いきり抱きしめた。
両親に見られたら、「はしたない」と叱責が飛んでくることだろう。
「あらあら、相変わらず甘えん坊さんだね」
お姉様のにおいを胸いっぱいに吸い込む。かすかな石鹸と薄荷のにおいが心地よい。
何物にも代えがたい至福のひとときのはずなのに、今日は手放しで喜びに浸ることが出来なかった。
「……東雲お姉様」
「ん?」
「少し、お痩せになられましたね」
ぽつりと呟いた私をあやすように、ぽんぽんと頭を軽く撫でる。空気を読めない犬が、足元にまとわりついてくるのが煩わしい。
「実はダイエットしてるんだ」
平然と笑うお姉様に、胸が針で刺されたようにちくりと痛んだ。
嘘をつかれたことが辛いのではない。この美しい人が、自分に傷を見せてくれないことがひどく寂しかった。
「必要ありません。それ以上お痩せになっては、お体に毒です」
元々痩せているお方なのに、今は更に肋骨が浮き出していた。
「それに犬の散歩など、雛傅家の恩知らずにさせればよいではありませんか。わざわざお姉様のお手を……」
「こら。恩知らずじゃなくて、彼岸坂くんでしょう」
すかさず咎められ、釈然としない思いが胸に広がる。
あの恩知らずこと雛傅哉汰……今は彼岸坂哉汰と名乗っているらしい。
あの男は幼い頃、お姉様に多大なるご恩を受けておきながら、お姉様のことを綺麗さっぱり忘れてしまったという。
それを恩知らずと呼ばずして、何と呼ぶのか。鳥頭とでも呼べばいいのだろうか。
「それはそうと、修学旅行は楽しかった?」
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