間章 梅雨明けの夜に

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「あ、でもその前に……」 お姉様がおもむろに椅子を立つ。 同時にドアがノックされ、ニコルが透明な箱……プラスチックの小さな虫かごを片手に入って来る。 「ご歓談中、失礼致します」 「ありがとう、ニコ。あのね、南天が旭にお礼を言いたいんだって」 ニコルはテーブルの上に虫かごを置くなり、すぐ退出してしまう。お姉様が蓋を開くと、中から小さな井守が這い出した。 「確か、井戸神様の神使の……」 小さな頭をもたげ、その名の通り南天の実のような赤い目玉で私を見上げる。 『南天と申します。三月前は主様と水神様をお連れいただき、誠にありがとうございました』 「礼には及びません。私はお姉様のお手伝いをしただけです」 三ヵ月前に見た時とは、まるで別の生き物のようだ。 膨れ上がった体に瘴気をまとい、あれほど人間に敵意を燃やしていたのに―――― 『……旭殿。あの後、主様はどんなご様子だったでしょうか』 少し不安そうに尋ねる。 おそらく私への礼は半分建前で、こちらが本題だったのかもしれない。 「久しぶりに下界に降りられて、少しお疲れのようでしたが……水神様のお力で、少しずつご回復なさっているそうです」 私の答えを聞くと、小さな神使は目を閉じ、頭を伏せた。 『ありがとうございます、旭殿。では吾は、これにて失礼仕りまする』 「もういいんですか? よければ南天も一緒に……」 『これで充分です。それに』 お姉様に引き止められるも、丁重に辞退し、虫かごの中に自分から戻る。 『ご姉妹水入らずのお時間を、お邪魔するわけにはゆきませぬ』 なかなか殊勝な心がけだった。 どこぞの恩知らずな男や、空気の読めない黒い犬も見習うべきだ。 タイミングを見計らったように、紅茶のおかわりを持ってきたニコルが虫かごごと南天を回収する。 「なんだか、気を遣わせちゃったかな」 彼らを見送って、お姉様がぽつりと呟いた。 「お姉様。例の“神器”の件ですが」 私も本題を切り出すと、お姉様はアイスティーのグラスを置き、わずかに身を乗り出した。 「どうだった?」 「おばあさまや他家の詳しい者にも尋ねてみたのですが、“葉隠”を修復する手立ては無いようです」 白いお顔に、水のように落胆が広がる。 「神器の中でも鏡や刀剣の類なら、職人に修理を依頼することも出来るそうなのですが、藁蓑(わらみの)となると……」 「そっか……ありがとう」
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