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前日譚
「考えなおせよ、哉汰(かなた)。お前が死んだところで何も変わんねえだろ」
土砂降りの雨音に混じって聞こえる声に、若干の焦りがにじむ。
固く拳を握ってうつむいた俺に、宮城さんは更に説得を試みた。
「むしろこの展開、お前らを陥れた奴らがほくそ笑むパターンだろ。自分たちが手を汚す前に死んでくれた、これは一安心だって」
「……そうですかね」
相槌を打つと、自分の声とは思えないほど低い声が出た。
少し顔を上げると、怪訝そうにこちらを窺う宮城さんと目が合う。
俺はポケットから一枚のメモリーカードを取り出し、机の上に置いた。
「これは……?」
「今まで俺や家族を貶(おとし)めてきた人の名前と記録、証拠一式が入ってます」
宮城さんの顔が、いよいよ青ざめる。
「お前、本気なのか」
「俺が死んだら、これをネットで拡散してください。お願いします」
「こんなもん……はいそうですかって、受け取れるわけねえだろ!」
「じゃあ他のジャーナリストに頼むからいいです」
「ふざけんなよ、叔父さんたちに何て言うつもりだよ! 天国のお袋さんや佳夜ちゃんだって、こんな形で意趣返ししても喜ばねえぞ」
彼の言葉は至ってまっとうな正論だった。
そして損得や理屈抜きで、俺を案じてくれているのだと分かってはいる。
けれど――――
「別に、もういいです。どうだって」
母は死んだ。
妹は何者かに殺された。
自分の出自を理由に、進学や就職のたびに壁にぶつかってきた。
一度決まった内定や合格を取り消されることはざらにあったし、現に一昨日も四月から働くはずの会社から内定取り消しの通知をくらった。
素性を隠すため、伯父夫婦と養子縁組をして苗字を変えた。
しかしこのご時世、すぐに俺の個人情報がネットに出回る。
どこへ行っても世間の白い目がつきまとう。もう、自分に生きていく居場所があるとは思えない。
だったら俺の自殺がどんな形であれ、俺たち家族を追い詰めた人たちに少しでもダメージを与えられればいい。
今となっては、そんな歪な復讐ばかりが頭を占めている有り様だった。
突き返されたメモリーカードを受け取らず、黙って席を立つ。
「待てよ、哉汰! おい!!」
そして制止を振り切って、俺は宮城さんのアパートを飛び出した。
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