第三章 廃校に咲く花 ~後編~

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「お兄さんがいらっしゃるまで、少しでも体を暖めておいてください」 彼女のお兄さんということは、社長の元婚約者だ。 気まずそうな上司には申し訳ないが、どんな人なのか少し気になった。 「森田さんは何か軽く食べるものを。彼岸坂くんはヒーターの準備をお願いします」 カイロの封を開けながら、テキパキと指示を出す。 態度は素っ気ないが、社長なりに来客の体調を案じているようだった。 客間からファンヒーターを運び、ついでに森田さんを手伝って食器を用意する。 「社長もニコさんも大変ねえ。番野様がいらっしゃるまでに間に合うといいけど」 コンソメスープを温めながら、森田さんがぼやく。 「何かあったんですか?」 「よりによって、さっきクワトロが脱走したの。地面に穴を掘って、檻を抜け出したみたいで……」 社長とニコルさんの雰囲気が少しあわただしかった裏には、そんな事情があったらしい。 千藤さんと二人がかりで探しているが、遁走館の敷地面積はとにかく広い。捕獲は難航している様子った。 森田さんの手伝いを終え、ニコルさんのスマホに連絡する。 「自分もクワトロを探してきます。お客様にとびかかったりしたら大変ですから」 「しかし君は今日、外出の用があるのでは?」 「大した用じゃないんです。人と約束しているわけじゃないから、大丈夫ですよ」 多忙な老秘書は少し沈黙してから、「申し訳ない」と俺の申し出を受け入れた。 ニコルさんの次は、事務室の内線に電話をかける。三回ほどコールが鳴った後、ガチャガチャと受話器をずらす音がした。 「南天、頼みたいことがある。実はクワトロが――――」 『知っておる、はようあの黒い獣を捕まえぬかッ!』 最後まで言う前に、悲痛な金切り声が響き渡った。 野生の勘というべきか、南天はすでに天敵の脱走に気付いていたようだ。 「今探してるよ。二階の窓から、クワトロがどこにいるか見えないか?」 『あやつは果樹園から蔵に向かって……うう、庭師殿は何をしておるのだ。そちらは正反対の方向ではないか』 電話口から響く声が、どんどん悲愴感と焦りをおびてゆく。 以前、おやつと間違えてクワトロに喰われそうになったことが、よほどトラウマになっているようだった。 『哉汰、おぬし今どこにおる』 「母屋の前だけど」 『東の隠門の近くで待ち構えるのだ!! ゆめゆめ取り逃がすでないぞ!』
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