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南天のナビ通り東の裏門に先回りすると、車庫の陰から大きな黒い影が飛び出してくる。
森田さんにもらったラムのジャーキーをちらつかせると、脱走の常習犯は何食わぬ顔で駆け寄ってきた。
首輪にリードをつなぎ、ニコルさんに捕獲成功のメッセージを送って母屋に戻る。クワトロが脱走用に掘った大穴を戻すまでの間、母屋の空き部屋をゲージがわりに利用することになった。
石畳の径(こみち)を歩いている途中、突然クワトロが立ち止まる。耳をピンと立てると、後ろを振り返って吠えはじめた。
「こら、駄目だって。戻るぞ!」
強めにリードを引っ張るが、50キロを超える巨体はびくともしない。尻尾をぶんぶん振りたくり、ハッハッと荒い呼吸を繰り返す。
半ば無理やり引きずって母屋へ向かおうとしたその時、背後の生け垣から社長が現れた。
「彼岸坂くん、捕まえてくれたんですか」
自分に飛びかかろうとする飼い犬を「こらっ」と軽く叱りつつも、あごの下をなで回す。
「ありがとう、助かりました。でも、時間は大丈夫ですか? 確か外出の予定があったんじゃ……」
「東雲さん、犬を飼っていらしたんですか」
社長の言葉を遮るように、聞き覚えのない声が響いた。低く落ち着いた、静かな声だった。
社長が声がした方に向き直る。俺もリードを短くしてから振り返った。
山茶花の生け垣の向こうから、背の高い男性が姿を現す。
「…………?」
その人を見た瞬間、たとえようのない既視感が湧きあがった。
自分は以前、どこかで彼と会ったことがある――――そんな気がする。
しかしどこでいつ会ったのか、どうにも思い出せない。
「失礼、お取込み中でしたか?」
男性が俺に気付いて、軽く頭を下げた。俺もとっさに会釈を返す。
痩せてはいるが、かなり背が高い人だった。利仁さんのお兄さんと同じか、少し低いくらいだろうか。
フレームのない眼鏡をかけた面長の顔は優しげで、人当たりのよさそうな、柔和な笑みが浮かんでいた。
「あっ、こら!」
人懐こいクワトロが、すかさず来客に飛びつこうと上体を跳ね上げる。
あわててリードを引いて止めたが、男性は意に介する様子もなくこちらに歩み寄った。
自分の背丈ほども体長がある大型犬を、手慣れた手つきであやすようになでる。
「すみません」
「大丈夫ですよ。うちも昔、シェパードを飼っていたので」
クワトロは心地よさそうに目を細め、長い尻尾を左右に振った。
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