第三章 廃校に咲く花 ~後編~

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南天のナビ通り東の裏門に先回りすると、車庫の陰から大きな黒い影が飛び出してくる。 森田さんにもらったラムのジャーキーをちらつかせると、脱走の常習犯は何食わぬ顔で駆け寄ってきた。 首輪にリードをつなぎ、ニコルさんに捕獲成功のメッセージを送って母屋に戻る。クワトロが脱走用に掘った大穴を戻すまでの間、母屋の空き部屋をゲージがわりに利用することになった。 石畳の径(こみち)を歩いている途中、突然クワトロが立ち止まる。耳をピンと立てると、後ろを振り返って吠えはじめた。 「こら、駄目だって。戻るぞ!」 強めにリードを引っ張るが、50キロを超える巨体はびくともしない。尻尾をぶんぶん振りたくり、ハッハッと荒い呼吸を繰り返す。 半ば無理やり引きずって母屋へ向かおうとしたその時、背後の生け垣から社長が現れた。 「彼岸坂くん、捕まえてくれたんですか」 自分に飛びかかろうとする飼い犬を「こらっ」と軽く叱りつつも、あごの下をなで回す。 「ありがとう、助かりました。でも、時間は大丈夫ですか? 確か外出の予定があったんじゃ……」 「東雲さん、犬を飼っていらしたんですか」 社長の言葉を遮るように、聞き覚えのない声が響いた。低く落ち着いた、静かな声だった。 社長が声がした方に向き直る。俺もリードを短くしてから振り返った。 山茶花の生け垣の向こうから、背の高い男性が姿を現す。 「…………?」 その人を見た瞬間、たとえようのない既視感が湧きあがった。 自分は以前、どこかで彼と会ったことがある――――そんな気がする。 しかしどこでいつ会ったのか、どうにも思い出せない。 「失礼、お取込み中でしたか?」 男性が俺に気付いて、軽く頭を下げた。俺もとっさに会釈を返す。 痩せてはいるが、かなり背が高い人だった。利仁さんのお兄さんと同じか、少し低いくらいだろうか。 フレームのない眼鏡をかけた面長の顔は優しげで、人当たりのよさそうな、柔和な笑みが浮かんでいた。 「あっ、こら!」 人懐こいクワトロが、すかさず来客に飛びつこうと上体を跳ね上げる。 あわててリードを引いて止めたが、男性は意に介する様子もなくこちらに歩み寄った。 自分の背丈ほども体長がある大型犬を、手慣れた手つきであやすようになでる。 「すみません」 「大丈夫ですよ。うちも昔、シェパードを飼っていたので」 クワトロは心地よさそうに目を細め、長い尻尾を左右に振った。
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