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不意に男性が手を止め、俺に向き直る。
「それはそうと、妹がお騒がせして申し訳ありません。日歿堂の方ですか?」
「ええ、社員の彼岸坂くんです。彼岸坂くん、こちらは先ほどの小夜さんのお兄さんで――――」
「東雲さんの婚約者の、番野と申します」
社長の言葉を引き継いで、さらりと名乗る。自己紹介の後半部分に、すかさず社長は訂正を入れた。
「“元”婚約者です!」
「ハハ、そういえばそうでしたね」
あからさまに不本意そうな「元婚約者」を気にする様子もなく、番野さんは面白そうに笑う。
リアクションに困って視線をずらしたその時、クワトロの腹をさする大きな手のひらに、何気なく目が止まった。
――――指先が、やけに赤い。
一瞬しもやけかと思ったが、よく見ると違う。
皮が……爪のまわりの皮膚がほとんどめくれており、そのせいで指先がボロボロに荒れている。
そう気付いた次の瞬間、へばりつくような悪寒が背筋を駆け上がった。
「……彼岸坂くん? どうかしましたか?」
にわかに黙り込んだ俺を、社長が怪訝そうにのぞきこむ。番野さんも不思議そうに俺を窺っていた。
その視線から、とっさに目を逸らす。
「いえ……ニコルさんを待たせているので、自分はここで失礼します」
二人に一礼し、母屋の勝手口にまわる。
俺の異変を察したのか、クワトロは駄々をこねることもなく、リードを引くと大人しくついてきてくれた。
脱走犬をニコルさんに引き渡し、遁走館を出た。
出発時刻が一時間ほど遅くなったが、あらかじめ調べておいた特急列車に乗って「千屋荘」を目指す。
窓際の席に座ると、今さらのように遅れて吐き気がこみ上げた。
(あれが、社長の元婚約者……)
190センチほどの長身に、均整のとれた痩せ型の体。
大きな手のひらに細く長い指、ボロボロに荒れた赤い指先。
彼の体格は、ひどく似ていた。
似ているというか、特徴が記憶のなかのとある人物に、ことごとく一致する。
十二年前、紙袋をかぶって隠し、妹を橋の上から突き落とした男――――
この十二年間、絶対に忘れまいと、何度も繰り返し思い出しては脳裏に焼き付けた殺人者。
「……お客様、お客様」
横から声をかけられ、ハッと顔を上げる。駅員が少し心配そうな顔で、俺を見下ろしていた。
「すみません、切符を拝見してもよろしいでしょうか」
「あ、はい……」
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