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社長さんと哉汰が帰ると、二人と入れ替わるように大学帰りの妹が病室に顔を出した。
「お姉ちゃん、調子どう? 頼まれてたやつ買って来たよ」
キャンバス地のトートバッグから、A3ほどの大きさの箱を取り出す。私が頼む前に、紗帆は箱から中身を取り出してくれた。中から幼児用のお絵かきボードが現れる。
手のリハビリのために、家族に頼んでおいたものだ。
先端に磁石がついたペンで、ボードの中に仕込まれた砂鉄で絵や字を描けるおもちゃだ。レバーを引けば、画面に書いたものをすぐ消せる。
幼児用だから私の力でも持ち上げたり、操作できる。
ずっとスマホの筆談アプリばかり使っていたが、そろそろ自分の手でものを書く練習がしたいと思うようになった。
「あれ、どうしたのこの本?」
付属のペンを袋から出していた紗帆が、テーブルの上のエンディングノートに気付く。
【 御堂さんにもらった 】
「日歿堂さん、来てくれたんだ。中見てもいい?」
私が頷くと、紗帆はノートを手に取りパラパラとページをめくった。
「これノートなんだ。けっこう面白いかも、ふーん……」
ひととおり流し見るとノートを戻し、お絵かきボードを私の目の前に置く。
「さっそく使ってみる?」
手を伸ばすと、紗帆はすかさずペンを私に握らせてくれた。
昏睡状態から目覚めて、早くも一ヵ月。家族に介護してもらうようになって、私は今まで知らなかった身内の意外な面をいくつか知った。
母さんは心配性だけど、根は楽観的だ。私の将来を「大変だけどなんとでもなる」と本気で思っているようだ。
父さんは意外と過保護で、空き時間にしょっちゅう会社を抜けて病室に来る。
紗帆は家族の中で一番気が利くタイプだった。歳が近いこともあってか、私が筆談アプリを使う前にこちらの要求を察して動いてくれる。
衝突やいさかいがゼロというわけではない。
早くリハビリをはじめたい私と、慎重に治療を進めたい両親と、時に意見が対立することもある。
けれど私は二度と、対話を投げ出したりしない。
「大丈夫?」
上手くペンを握れず取り落とした私に、紗帆が気遣わしげに声をかけた。
スマホの操作は慣れてきたが、まだ細いものを握るのは難しいみたいだ。
ペンを握れるようになったら、もう一度、自分の手で絵を描いてみたい。
前みたいに綺麗な線が引けなくても、思うようなものが描けなくても。
そして……膝の上のスマホをちらりと見る。
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