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「お前、あいつのことを覚えてないんだってな。なら、こういう交換条件はどうだ? お前の祖父が何故殺されたか教えてやる。かわりにお前は……」
相手が話し終える前に、俺は椅子を跳ね飛ばして立ち上がる。
今、この男は何と言った?
「殺された?」
「どうやら、記憶喪失ってのはまんざら嘘でもないらしいな」
硬直する俺を見上げ、御堂譲一は薄く立ちのぼる湯気の向こうで満足そうな笑みを浮かべた。
「…………」
波立つような動悸に見舞われ、体が熱くなる。
頭では挑発だと分かっていた。けれど彼の言葉を無視することも、この場を去ることも出来ずにい棒立ちになってしまう。
「……ふん、まあいい。お前の祖父は先代当主……俺たちの祖父と、古くから親交があった。雛傅家は御堂家の威光にあやかってたというわけだ」
御堂譲一はカップを置くと、こちらを窺うように話しはじめた。
「だが、先代は十二年前の春に病死した。お前の祖父が殺され、常夜村が焼けたのはその三ヵ月後」
呆然と耳を傾けていうるうちに、彼の言わんとするところがおぼろげに見えてくる。
「後継者の東雲も当時、国外で当主となるための修行を積んでいた。つまり常夜村の事件が起きたのは“御堂家の当主”が不在だったせいだ」
彼の話は、確かに筋が通っていた。
先代の当主が事件の少し前に亡くなったことは初耳だが、俺と社長の祖父同士が親しかったことは、利仁さんや日下部からも聞いている。
「それじゃ一体、誰が……」
世間では自殺したと言われている祖父は、一体誰に殺されたのか。
しかし固唾を飲んで次の言葉を待つも――――
「俺が知るわけないだろ」
「は?」
ポカンとする俺を横目に、御堂譲一は鼻を鳴らした。
「ちゃんと話してやったんだから、約束通り妹を説得しておけよ」
「いやちょっと待ってください。話してやったって、まだ肝心な部分を何一つ聞いてないじゃないですか」
「知るか。事件が起きた理由を教えてやるとは言ったが、犯人を教えてやるなんて一言も言ってないだろ」
事もなげに返され、唖然とする。
しれっとした相手の顔を見て、今更のように気付いた。この男が犯人を知っているか否かは定かではないが、事件の核心について話す気など最初から無かったのだ。
一気に脱力しそうになったところで、ふと意趣返しを思いつく。
「……あなたが祖父を殺したんじゃないですか?」
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