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「彼岸坂くん。前に南天で試した時のように、私を卯座姑様と会話できるようにしてもらえませんか」
ニコルさんが俺を振り返る。一体何に付き合わされるかと身構えていたが、少し拍子抜けした。
「はあ。わかりました、じゃあ……」
『?』
断る理由もないため、ニコルさんの広い額にそっと右手を添える。卯座姑様はそんな俺たちを、不思議そうに眺めていた。
俺が手を離すと、灰色の瞳がゆっくりと開く。
『にこ?』
「聞こえました。これで私も少しの間、卯座姑様とお話が出来ます」
そう言って顔を上げたニコルさんに、卯座姑様は皿のような目を更に丸くした。
仮設休憩所のベンチを机がわりに、ニコルさんは紙袋の中身を広げてゆく。
化粧箱に六つ詰まった苺大福は、予約を受けた分しか作らないという限定品で、社長のお気に入りの店のものだ。水筒のコップに温かい緑茶を注ぎ、卯座姑様の前に置く。
「君はこちらを。寝不足の時はカフェインを控えましょう」
350mlサイズの温かいほうじ茶のペットボトルを手渡され、即席の茶会が始まる。
卯座姑様は急に言葉を交わせるようになった老秘書に驚きつつも、嬉しそうに話しかけていた。
『東雲は達者でやっとるだか?』
「はい。生憎、御堂は本日所用がありまして。卯座姑様によろしくと、言伝と差し入れをあずかって参りました」
『元気ならええだよ。それにしても甘え饅頭だなァ。中に入っとるのは水菓子か?』
「ええ、苺という果物です」
『いちご……?』
どうやら苺は初めてらしく、枯れ枝のような長い指で器用につまんで、物珍しそうにまじまじと眺める。
「卯座姑様。やはり、お気持ちは変わりませんか?」
ニコルさんがおもむろに尋ねる。箱に伸ばした卯座姑様の手が、ピタッと止まった。
『……んだ。でもオラはもう神でねえから』
「しかし御堂は、卯座姑様ほどふさわしい方は他にないと申しておりました」
『買いかぶりだが』
大福をつまみあげ、困ったように笑う。
「卯座姑様には御堂家が所有する山の守護者になっていただきたく、以前から社長とともに何度か頼み込んでいるのですが……」
話についていけず困惑する俺に、ニコルさんが事情を説明する。
いわれてみれば五ヵ月前、社長もそんなことを卯座姑様に言っていた覚えがある。
「なかなか色よいお返事をいただけないのです」
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