第四章 神隠しの宿  ~前編~

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世間話の合間にひとつ、またひとつと苺大福が減ってゆく。 大きな口でちびちびと大福をかじり、ニコルさんと談笑する卯座姑様の姿に、ささくれ立っていた胸の内が少しずつ凪いでゆくのを感じた。 『哉汰や』 不意に名前を呼ばれ、顔を上げる。 『お食べ。甘くて美味いだよ』 大きな手のひらに苺大福をひとつのせ、俺に差し出した。 「あまりお腹がすいてないので、よければ自分の分も食べてください」 何の気もなしにすすめると、卯座姑様はわずかに顔を曇らせる。 『……痩せたなァ、哉汰。ちゃんと食べとるだか? 何か、心配事があるが?』 「いえ、そんなことないですよ。少し疲れてるだけですから」 『だども、顔の色も少し悪いだが。目の下も青い。寝とらんだがか?』 心配そうに俺の顔をのぞき込んだその時、どこから飛んできた小鳥がボサボサの白髪頭に止まる。この時期には珍しく、ツバメだった。 「おや、珍しい。ツバメですね」 ニコルさんも少し驚いたようにツバメを見上げた。 『んだ、こいつは南さ渡り損ねちまってなァ……あっ、こらっ! 餅ばつつくでねえ。(くちばし)に詰まるが!』 手のひらの中の苺大福を狙って、ツバメが飛んでゆく。卯座姑様があわててもう片方の手で大福を覆い隠す。 微笑ましい攻防を繰り広げたのち、ツバメは諦めて卯座姑姑様の頭に戻り、脚を折り畳んで座った。 「止まっちゃいましたね」 『ええだ、ええだ。飽きたらどっか飛んでくだよ』 自分の頭上を目だけで眺め、卯座姑様はお茶をすする。 神位を剥奪されて早くも五ヵ月が経つが、この元守り神の内面は変わっていないらしい。 相変わらず人懐こくお人好しで、抜けているようで意外によく人を見ている。そしてボサボサの白髪頭には、時々こうして鳥が止まる。 ――――なんだかそれが、無性に嬉しかった。 ささやかな茶会は一時間ほどでお開きとなった。 卯座姑様に見送られ、ニコルさんと車に戻る。 「ご心配をおかけしてすみません。お気遣い、ありがとうございます」 角を曲がって卯座姑様の姿が見えなくなってから、上司に頭を下げた。 きっと俺を心配して、少しでも気晴らしになればとここに連れて来てくれたのだろう。寡黙な彼らしい気遣いだと思った。 「……君はまるで、いくら飼い慣らしても森ばかり見ている狼のようだ」 「え?」 相変わらず感情の読めない灰色の瞳が、運転席から横目で俺を一瞥する。 「ロシアの古い(ことわざ)です。狼から野生を消し去ることが出来ないように、人間の性格というものはなかなか変えられないという」
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