第四章 神隠しの宿  ~中編~

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連れ……社長のことだろう。 死んだはずの人間が当たり前のように目の前にいることより、千屋が俺と社長が一緒にいたことを知っていることに驚き、警戒心が()き上がる。 「あの、俺と一緒にいた女の人は」 『知ってるけど教えてやんないよ。まさかカモがネギ背負って、ノコノコ来てくれるたあね』 俺の質問を遮るようにうそぶき、千屋は煙草の煙を俺に向かって吹きかける。とっさに顔が強張るのが自分でも分かった。 『いいね、苦労が板についた面構えだ。その様子じゃ兄さん、うちの噂は知ってるみたいだね』 「……どういうことだ」 声を低くした俺を、得体の知れない老人はにやにやと笑いながら見上げる。ひどく(かん)に障る笑顔だった。 先ほど見た無数の黒い腕や、地面に引きずり込まれた社長の姿がまざまざと脳裏に浮かぶ。 社長は一体、どこにいるのか。 手のひらや背中に、嫌な汗がじわじわと(にじ)みだす。 『お前さんたち二人は売られたってことさ。この“神隠しの宿”にね』 笑いをかみ殺した声でそう言って、千屋はくつくつと押し殺した笑いを漏らした。 売られたとは一体、どういうことか。そう詰め寄ろうとして、はっと肝心なことに思い至る。 「社長はどこにいる。あの人に何をした!?」 『そう聞かれて正直に答えるわけないだろ。こっちに喰ってかかるヒマはないよ、そろそろ()りが始まる。早くしないと“目玉商品”はすぐに落札されちまうよ?』 からかうような表情で頭に血がのぼりそうになるも、告げられた内容を理解した瞬間、血の気が引いた。 「競り」、「落札」、そして「売られた」―――― 「悪く思わないでくれよ。こっちも色々と金が入用(いりよう)だったもんでね。あんたたち二人は言い値がついた。有り難い限りさね」 「……金?」 金庫に隠されていた借金の督促状を思い出す。 思えば今回の遺品整理の依頼は、目の前の男があらかじめ遺言で日歿堂を指名していた。 全ては目の前の男が金を用意するために仕組まれていたということだ。 「てめえ……」 自分の声とは思えない、呻くような声が出た。 千屋はにやにやと俺を窺ってはいるが、こちらに何か仕掛けてくる様子はない。 体格差を考えれば、千屋が俺を拘束できるとは思えない。 聞きたいことは色々あったが、この老人が素直に答えるとは思えなかった。何より時間が惜しい。 『せいぜい急ぐこったね。まあ無駄だろうけど足掻いてみなよ、兄さん』 背後で響いた声に振り返らず、俺は階段を駆け上がった。
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