第四章 神隠しの宿  ~中編~

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しゃん、と高く涼やかな鈴の音が、再び大広間に鳴り響く。 妖怪たちが皆、一様に目の色を変えた。薄暗い広間で、無数の目玉が爛々(らんらん)と光る。 誰もが大広間の奥、黒い(すだれ)に覆い隠された上段の間を、食い入るように見つめ、競りが始まるのを今か今かと待ちわびていた。 「お集まりの皆様におかれましては、大変長らくお待たせいたしました」 おもむろにそう告げたのは、千屋の声ではなかった。少し低くかすれた、聞いたことのない女性の声だ。 一拍置いて(ふすま)の奥から姿を現したのは、藍染めの着物をまとう小柄な女性だった。 服装といい体格といい、遠目には普通の人間に見える。しかし白い狐の面で、顔が隠されている。狐……千屋の仲間だろうか。 「これより人競(ひとぜ)りを始めさせていただきます」 始まりの宣告に、壁際で寝転がっていたなまはげが目を覚まし、あわただしく身を起こした。 面を奪われたことに気付いていないのか、気付いているが意に介していないのか、上段の間しか見ていない。 東云もようやく酒を置き、のそりと立ち上がった。 『さあさあ皆様、お立会い』 簾の奥から響く千屋の声に、俺が身構えたのも束の間。 狐面の女が、天井から垂れ下がる赤い紐を引く。 『これに取り寄せたるこの女子(おなご)、歳の頃は二十一と(いく)つ、競りに出しますは久方(ひさかた)ぶりの、正真正銘生きた人間……』 するすると黒い簾がまくれ上がってゆき――――中から現れたのは、後ろ手に縛られ、鎖で柱に両足をつながれた社長の姿だった。 「!」 『世にも珍しい、玉虫色の瞳を持つ娘でございます。ご覧の通りの器量よしだ、喰うも(なぶ)るも飾るもよし。煮ようが焼こうがご自由に』 高らかに響き渡った口上に、妖怪たちがざわざわと色めき立った。 目の前がぐらぐらと揺れた。きつく握りしめていた拳がかすかに震える。 煮ようが焼こうが自由だと――――冗談じゃない。 社長は虚ろな目で、ぼんやりと虚空を眺めている。 食い入るように自分を見つめる妖怪たちなど、まるで目に入っていないかのようだった。 見たところ大きな怪我はなさそうだが、明らかに様子がおかしい。 彼女がどこを見ているのか、分からない。千屋の言葉にも妖怪たちにも、何に対しても反応らしい反応を見せない。 まさか、千屋に何かされたのだろうか。 身を乗り出そうとしたその時、目の前に黒い後ろ姿が立ちはだかった。 「挑発に乗るな小僧。向こうの思う壺だろうが」 東云が振り向かず、俺だけに聞こえるか聞こえないかギリギリの大きさの声で呟く。 「これは"競り"なんだろ。だったら俺かお前が、東雲を競り落とせばいいだけの話だ」
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