3729人が本棚に入れています
本棚に追加
しゃん、と高く涼やかな鈴の音が、再び大広間に鳴り響く。
妖怪たちが皆、一様に目の色を変えた。薄暗い広間で、無数の目玉が爛々と光る。
誰もが大広間の奥、黒い簾に覆い隠された上段の間を、食い入るように見つめ、競りが始まるのを今か今かと待ちわびていた。
「お集まりの皆様におかれましては、大変長らくお待たせいたしました」
おもむろにそう告げたのは、千屋の声ではなかった。少し低くかすれた、聞いたことのない女性の声だ。
一拍置いて襖の奥から姿を現したのは、藍染めの着物をまとう小柄な女性だった。
服装といい体格といい、遠目には普通の人間に見える。しかし白い狐の面で、顔が隠されている。狐……千屋の仲間だろうか。
「これより人競りを始めさせていただきます」
始まりの宣告に、壁際で寝転がっていたなまはげが目を覚まし、あわただしく身を起こした。
面を奪われたことに気付いていないのか、気付いているが意に介していないのか、上段の間しか見ていない。
東云もようやく酒を置き、のそりと立ち上がった。
『さあさあ皆様、お立会い』
簾の奥から響く千屋の声に、俺が身構えたのも束の間。
狐面の女が、天井から垂れ下がる赤い紐を引く。
『これに取り寄せたるこの女子、歳の頃は二十一と幾つ、競りに出しますは久方ぶりの、正真正銘生きた人間……』
するすると黒い簾がまくれ上がってゆき――――中から現れたのは、後ろ手に縛られ、鎖で柱に両足をつながれた社長の姿だった。
「!」
『世にも珍しい、玉虫色の瞳を持つ娘でございます。ご覧の通りの器量よしだ、喰うも嬲るも飾るもよし。煮ようが焼こうがご自由に』
高らかに響き渡った口上に、妖怪たちがざわざわと色めき立った。
目の前がぐらぐらと揺れた。きつく握りしめていた拳がかすかに震える。
煮ようが焼こうが自由だと――――冗談じゃない。
社長は虚ろな目で、ぼんやりと虚空を眺めている。
食い入るように自分を見つめる妖怪たちなど、まるで目に入っていないかのようだった。
見たところ大きな怪我はなさそうだが、明らかに様子がおかしい。
彼女がどこを見ているのか、分からない。千屋の言葉にも妖怪たちにも、何に対しても反応らしい反応を見せない。
まさか、千屋に何かされたのだろうか。
身を乗り出そうとしたその時、目の前に黒い後ろ姿が立ちはだかった。
「挑発に乗るな小僧。向こうの思う壺だろうが」
東云が振り向かず、俺だけに聞こえるか聞こえないかギリギリの大きさの声で呟く。
「これは"競り"なんだろ。だったら俺かお前が、東雲を競り落とせばいいだけの話だ」
最初のコメントを投稿しよう!