第四章 神隠しの宿  ~中編~

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「競り落とす? そんなの、一体どうやって」 これから始まる「競り」がどんな仕組みかは分からないが、千屋の話から察するに、人間を売買するオークションのようなものだろう。 問題は、何が取引材料となるかだ。 手ぶらでこちら側に迷い込んだ俺には、先立つものがない。 もっとも財布や貴重品を持ちあわせていたとしても、妖怪のオークションに人間の(カネ)が使えるとは思えなかった。 目の前の男には、何か策があるのだろうか。 千屋がパン、と手を叩いた。 すると上段の間の近くから、真っ黒な毛に覆われた獣の腕が、にゅっと伸びる。 『人食い鬼の目玉!』 ひび割れた野太い声が、大広間に響き渡った。 それを皮切りに、妖怪たちは次々と腕を天井に向かって突き出し、声を上げる。 『俺は龍神の(ひげ)を掛ける!!』 『頭蓋(ずがい)の盃、仙骨を』 『狒々(ひひ)の干し首を、三つだ!』 案の定、妖怪の世界では人間社会の資本主義が通用しないらしい。 叫ばれる入札のための掛け品は干し首だの目玉だの、いずれも俺には用意しようのない物ばかりだった。 『鬼熊の生肝!』 『では反魂丹を!!』 価値基準は全く分からなかったが、入札が増えるたび、競りの空気がどんどん熱を帯びてゆく。 嫌な汗が体中から噴き出してくる。このままでは、社長が落札されてしまう。 東云は振り返り、にやりと笑って俺を指差した。 「これが人間を売る競りなら、うってつけの掛け金がいるじゃねえか」 「……!」 俺を取り引きに使う――――目の前の男は、そう言っているのだ。 広間に飛び交う妖怪たちの声が、どこか遠くもやがかかって聞こえる。頭にのぼっていた血が、一瞬で冷えた。 確かにここにいるのは皆、人間を買いに来た妖怪たちだ。 「そうだな。俺を元手に、あんたが社長を落札してくれ」 迷いと不安を押し殺し、つとめて冷静に答える。東云が「ほう?」と肩眉をはね上げた。 「命が惜しくないのか、小僧」 「惜しくないわけがないだろ。絶対、隙を見て逃げてやる。それに……」 柱に縛り付けられた社長を見上げ、拳を握りしめる。 虚ろな視線は相変わらず虚空をさ迷い、自分の置かれた状態にも、妖怪たちの声にも全く反応を示さない。 一体、社長はどうなってしまったのか。 唇を噛みしめると、舌に血の味が広がった。 「……あの人を失うくらいなら、自分が妖怪の餌になった方がマシだ」 『八百比丘尼の木乃伊(みいら)でどうでェ!』 猫又が叫ぶと、周囲がどよめく。にわかに入札の掛け声が止まった。 『比丘尼の木乃伊か。それ以上のもんを掛ける奴はいないのかい?』 千屋が区切りをつけるように言って、上段の間から集まった妖怪たちを見回す。 東云は一拍置いてから、スッと右手を上げた。 「生きた人間だ。若い男を一匹」
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