第一章 終活のすすめ ~中編~

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事務所に到着するなり、社長は会議室のホワイトボードに日下部から受け取った封筒の中身を貼り出す。 ひとつは神社の風景画、もうひとつは古地図のカラーコピーだった。 どちらも原本は相当古いようで、表面は黄ばみ、ところどころにシミがある。 「昔、杉内様のお宅を含むこの辺りの土地は神社だったんです」 地図の上に住宅地図のコピーを広げ、マグネットで貼り付けると、社長は杉内邸を含む一角を赤ペンで丸く囲った。古地図の神社も同じように囲む。 「しかし明治時代に起きた大震災でここら一帯も甚大な被害を受け、神社は倒壊してしまいました。復興の際、村に点在していたいくつかの小さな神社はこちらの大きな神社にまとめて移され、合祀されたんです」 杉内邸から少し離れた場所にある鳥居のマークに向かって、赤色の矢印が引かれた。 明治時代、この国では神道を国教にするため様々な政策が行われた。 その一つが神社の統廃合である。各地で神社の数を減らして財政を縮小し、行政の管理を行き届きやすくさせるための区画整備でもある。 今とは違い、昔の宗教は民衆をコントロールするための政治の道具として、為政者の管理下に置かれていた。 社長は神社の間取り図の下に、民家の設計図の写しを広げた。 「大正時代の終わり頃、神社の跡地には民家が建ちました。その間取りが、こちらです」 こちらも少し古いが、上二つの資料に比べれば、まだ文字が判読できる。 社長はその横に、更に杉内邸の間取り図を並べた。 「その民家もいつしか空き家となって、40年ほど前に取り壊されたそうです。その後、今の杉内邸が建ちました。しかしこれらの過程で、神社にあったはずの“何か”が失われてしまったのです。彼岸坂君、何か分かりますか?」 「え?」 突然話を振られ、あわてて図面を見比べる。 神社にあったのに、杉内邸には無いもの。 「分かったら、少し遅いけど3時のおやつにしましょう。ニコ、お茶の用意をお願いします」 「かしこまりました」 民家の設計図は、庭木や庭石の配置まで詳しく書かれていた。 水墨画にも似た神社の風景画も、筆で描かれたものとはいえ写実的だ。 石垣に囲まれた坂の上の本堂、小さな鳥居。並ぶ狛犬像、社へ伸びる参道、手水舎―――― 「……まさか、井戸ですか?」 社長がにっと笑う。今までの営業スマイルとは違う、少しいたずらっぽい笑顔だった。
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