第一章 終活のすすめ ~中編~

3/12
前へ
/358ページ
次へ
 井戸を埋めてはいけない。  井戸を塞ふさいではいけない。  井戸に金物かなものを入れてはならない。  むやみに井戸を覗き込んではいけない。 人々の生活に欠かせない水源であり、その恩恵に信仰を集める一方、井戸にまつわる禁忌や怪談は多い。 そもそも昔から井戸に限らず水場……橋や河川、海といった場所は、この世とこの世ならざる異界をつなぐ境界であると考えられてきた。 「たとえ跡地でも、井戸の上に家を建てるのは良くないと言われています。諸説ありますが、風水や家相でも井戸の取り扱いは極めてデリケートです。古井戸や井戸の跡地がある土地の購入は避けるか、やむをえない場合はお祓いや埋め立てなど然るべき処置をという考えは今でも根強く残っています」 帰りに買ったマドレーヌを頬張りながら、社長は杉内邸の見取り図を眺めた。 ニコルさんは紅茶をすすりながら、日下部から受け取った調査報告書を熱心に読んでいる。 「以前この土地にあった神社は奥水宮神社といって、水神様を主神に祀っていたそうです。だから水神様ゆかりの水脈があるのかも……」 「それならどうして、杉内邸は井戸の上に建てられているんですか?」  杉内邸が建つ前にあった民家の設計図には、既に井戸が見当たらない。 「おそらく単純に、一度枯れてしまったからでしょう」 ニコルさんはティーカップを置き、報告書から顔を上げた。 「枯れた……?」 「原因は予測の域を出ませんが、区画整理で行われた道路の整備や河川改修で、地下水脈が切れてしまったか。又は地震や地殻変動で断たれてしまったか」
/358ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3729人が本棚に入れています
本棚に追加