第一章 終活のすすめ ~中編~

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「なるほど。井戸が枯れるのは大きな地震の前兆であると言われますからね」 社長はマドレーヌに飽きたのか、隣のシュークリームに手を伸ばした。 彼女の食欲に合わせているらしく、マドレーヌとシュークリームはおおよそ三人分とは思えない量が購入されていた。 「杉内邸は以前、書斎を増築したそうです。その際、井戸の上に部屋を広げたのでしょう」 社長のカップに紅茶のお代わりを注ぎながら、ニコルさんが補足を入れる。 「確かにあの腐蝕は、長い時間をかけて出来たものには見えないんですよね。生きている井戸を三十年以上も塞いだら、書斎や押入れはもっとカビだらけで悲惨な状態だったはず」 シュークリームを紅茶で流し込み、社長は小さくため息をついた。 「……でも一度枯れた井戸が何らかの原因で、ごく最近復活したと考えれば全て辻褄が合う。水脈がつながると同時に、鬼門が開いてしまったのでしょう。そうでなくとも水場……特に井戸は、あの世とこの世をつなぐ性質を持ちやすいと言われますから」 何故あんな場所で鬼門が開いたのか、ずっと気にはなっていた。 見る限り、杉内邸はごくごく普通の家だ。一組の夫婦が二人で慎ましく暮らしていた一軒家にしか見えない。 しかし因縁は家でも人でもなく、土地そのものに眠っていた。 物憂げな主人をちらりと見遣り、老秘書は空になったティーカップに紅茶を注ぐ。 「ところで話は変わりますが、彼岸坂くん。シュークリームは上下を逆さまにすると上手に食べられるんですよ。知ってましたか?」 突然180度転換した話題に、一瞬、耳を疑った。 「……初耳です」 口の周りに粉砂糖やクリームをつけた人にそんな事を言われても、全く説得力がない。 社長は十個目のシュークリームを紅茶で流し込み、書類を置いた。 「とりあえず、地鎮祭をした神社に井戸祓いを依頼した方が良さそうですね。私たちもさっそく明日、床下を確認してみましょう」
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