第一章 終活のすすめ ~中編~

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「日歿堂は実力主義の会社です。年功序列ではありません。君が入社二日目だろうと二十年目だろうと、研修中だろうと役職付きだろうと、そんなことは関係ない」 自分に言い聞かせるように言って、社長は根太の間で器用に体を折り曲げ、床下で膝をついて屈んだ。 ほんの1メートル足らずほどの距離しか開いていないにも関わらず、細い背中がひどく遠く感じる。 「今朝も言いましたが、君が正しいと思ったことは積極的に行ってほしいし、たとえ上司でも納得できないことは指摘してください。私たちが知らないことを君はたくさん知っているでしょうし、逆もまた然り」 彼女がまとっていた柔らかな雰囲気が、どんどん堅く、研ぎ澄まされてゆく。 「私は様々な意見や方針の中から、最善策を選んでゆきたい。私やニコ、お客様が危ないと判断した場合、君の判断で動いてもらって構いません」 ほんの1メートル足らずの距離しか開いていないにも関わらず、か細い背中がひどく遠く、小さく感じた。 「ただし、いざという時は自分の安全を一番先に確保してください」 「……分かりました」 思わず背筋を伸ばした。 杉内氏や老秘書も口を挟もうとせず、真剣な表情で社長をじっと見守っている。 「マニュアルと一般常識が通用する業務はここで終了です。ここからは、心して立ち会うように」 ―――――――――おそらくここからが、日歿堂の真骨頂。 すう、と息を深く吸う音が、静まり返った書斎に響く。 『掛けまくも畏き伊邪那岐大神  筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に  禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓戸の大神等』 鼓膜の奥がじわじわと熱くなるのを感じた。粛々と響く声は、人間の声というよりまるで笛の音のようだ。 独特の節をつけて、朗々と空気を揺らす祓詞(はらえことば)。 社長が昨日、杉内氏が内に取り込んだ瘴気を祓い、鬼門を封じたのは道教の霊符だった。 しかし今、塞がれた井戸に潜む何かに語りかける祝詞は神道のものだ。 (この人は、一体――――?) 『諸々の禍事罪穢有らむをば  祓へ給ひ清め給へと白すことを聞こし召せと  恐み恐みも白す』
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