第一章 終活のすすめ ~後編~

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とっさに振り返る。 老秘書は畳の上でうずくまり、ぜいぜいと荒い呼吸を繰り返していた。額には玉のような汗がびっしりと浮いている。 「ニコルさん!」 あわてて畳の上に這いあがり、駆け寄る。 苦しそうに見開かれた目は充血し、血走っていた。先ほどまで青ざめていたはずの顔は、今はひどく紅潮している。 額や首筋に手を当てると、驚くほど熱い。 (大井守が言った“エ”って、まさか……) 「疫病」の「疫」かもしれない。 とにかく、彼を書斎から遠ざけなくてはならない。腕を肩に回したその瞬間、老秘書は俺の襟首をつかんだ。 「彼岸坂君」 病人とは思えない力で、互いの息がかかるほど近くまで引き寄せられる。 苦しそうな灰色の瞳が、真正面から俺を見据えた。 「私に構わず、どうかあの御方を止めてください」 「で、でも」 「もうすぐ……が来ます。どうか、それまで」 「ニコルさん?」 息も絶え絶えにそこまで言って、老秘書はがくりと気を失った。 しかし「あの御方」と言われても、社長と大井守、一体どちらを指しているのか分からない。 「に、兄ちゃん……あれ……」 杉内氏が腰を抜かし、畳にへたり込む。 震える指がさした先には、井戸が――――煤煙のような黒い靄(もや)が、井戸の中から噴き出していた。
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