3734人が本棚に入れています
本棚に追加
/358ページ
間章 人身御供の守り神
「ねえ、どうしてあなたはいつもお庭にいるの?」
庭木の下で微睡むかの神に、無邪気にも声をかけたのは、今年で八つになったばかりの末の娘だった。
幼子の言葉が思いもよらないものだったのか、皿のような一つ目をきょとんと丸くする。
「あなた、あたしたちの“守り神さま”なのでしょ? だって、父さま言っていたわ。この家には一つ目の神さまがいるって」
市之瀬家の守り神は一つ目。それゆえ、雷山の人身御供に選ばれたと言われている。
死後は山神となり、雷山を統べる大神より小さな山と神器をひとつ与えられた。
時は流れ、市之瀬家の先祖が山を開拓した折、先祖はこの地に住む代わりに一つ目の神を代々奉ることを、一つ目の神はこの家を守り続けることを互いに約束したらしい。
以来、市之瀬家の家紋は、守り神を模した一つ目の紋となった。
約定は今に至るまで違えられることはなく、一つ目の神を崇める市之瀬家はこの村の庄屋として栄え、不思議と疫病や洪水の難を免れ続けている。
「守り神さまも、いっしょにご飯を食べればいいのに」
『……オラは、あれで充分だ』
節くれだった長い指が、祠に供えられた神饌(しんせん)たちを指さす。
小さな白皿に盛られた塩や生米を見て、娘は不服そうに眉を寄せた。
「ええー、おまんじゅうのほうが絶対おいしいよぉ」
『……まんじゅう?』
「うん。千寿(ちづ)はねえ、酒粕がはいったやつが――――」
「これっ、千寿!!」
突然隣の部屋から飛んできた叱咤に、小さな体がびくっと竦む。パン、と音を立てて襖が開いた。
「なにもいない所で、一人で喋るなってあれほど言ったろう! まったく、よそ様に見られたらどう思われることか……」
「ご、ごめんなさい母さま……」
「それに、ちゃんと寝てなきゃ駄目じゃないか! また熱が出たらどうするんだい!!」
「はあい……」
すっかりしょげかえった末娘は母に手を引かれ、為すがままに寝床へ連れ戻されてゆく。
卯座姑様まで萎縮したように、古木のような巨躯を縮こまらせた。
千寿は一瞬だけ名残惜しそうに庭を振り返り、母親に気付かれないように、小さな手をそっと振ってみせる。
『なんだか、悪いことしちまっただなァ……』
大きな手をおずおずと振り返しながら、市之瀬家の守り神は申し訳なさそうに呟いた。
ハラハラと舞い落ちる銀杏の葉が、灰色にあせた蓬髪に音もなく絡みつく。
最初のコメントを投稿しよう!