タイプ音

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 それでも、素直にありがたいと言えないのは哲夫の言葉が、ひどく現実的で、的確に刺さるからだ。 「うるさいよ……」  いつまでもそうしてるわけにいかないだろ、何度も言われた言葉だ。理解している。章が、いつもあえて見ないようにしていることだ。  カコのことが好きだ。初めて会った気がしない。ずっと、きっと大好きだ。でも、だからこそ胸の奥がずっと重いのだ。  それは痛みを発している。章が避けようと避けようとしている無視しているだけで、ずっと痛い。 「でも、自分は嘘をついてなんかない……」  こんな、麻酔をかけ続けている。そして、同時にそれは章にとって、誤魔化しではない真実でもあった。  カコに接する自分こそが本当の自分なんだ。  章はその確信はあった。ただ、それを声を大にして叫べるかというとそうではない。どこまでも誤魔化しではない、章にとって本当に大切な真実があるからこそ、章はそこから動けない。  カコから、Skypeの誘いが来た。でも今は話せそうにない。声がぐらぐらと揺れてしまうから。 「いつまで続けるつもりなん」  また、哲夫の声が頭のなかに蘇る。うるさい、うるさいと頭を抱えた。それでも声は消えてくれない。大学生で、悠々としている従兄の顔まで浮かんでくる始末だ。とても恨めしい。どうあっても、顔の通り受け止めてもらえる、その姿が、恨めしくて、羨ましかった。 「章ちゃん」  ノックの音の後に、哲夫の母である叔母が部屋に入ってきた。章は表情を取り繕って振り返った。 「何、おばちゃん」 「お菓子買ってきたから、一緒に食べない?」  八重歯を覗かせて、手にしている袋を掲げた。近所で有名なケーキ屋の名前がプリントされている。 「わあ、いいの? ありがとう! いただきます」  自分からすれば大袈裟なくらい、声を高くして喜んだ。章の声は低くて抑揚がないと、友人は皆言うからだ。 「いいえ。じゃあリビング行きましょ」  紅茶かな、コーヒーかしら、そう言う叔母に、ううんと迷うそぶりを見せながら立ち上がる。章のセーラー服のプリーツスカートが、ひらりと太股を刺激した。その感覚にぞっとしたこともあった。麻痺させるうちに、慣れてしまった。  そう、麻痺させて、誤魔化しているのはこちらの現実なのだ。章は思う。 「やっぱり女の子ね」  甘いもの一緒に食べられるし、そのことばを、奥歯の奥できしきし噛み締めながら章は笑った。
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