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「要は当日券のタカリだな」
驚愕の表情のまま一人で闇に消えていく女を見送る。弔辞としてはあんまりだと思うが、相手は一歩先の崖下に自分を引きずり込もうとした幽霊、言葉をくれてやるだけ手厚い供養と思ってもらいたい。
考えなしの行動や無計画をずいぶんと呪っていたようだが、彼女の自殺日程にしろ当日思い立ったものだ。望まれない行為とはいえ、命を絶つ理由は人それぞれ。如何ともし難い事情も世の中にはあるし、死因から安直に生前を決めつけるのは主義に反する。とはいえ、あまりに悪質なツアーガイドに対し多少の想像は避けられなかった。
身勝手な陰口を聞かされたことも尾を引いている。死に際の作法なんてものはないし、自ら死ぬ行為を肯定することもやはり主義に反する。だが、「いい場所」をことごとく独占していて邪魔をしたという「先客」たちのほうが、よっぽど周到に準備をしてこの樹海に至っていた。少なくとも、予定が狂ったといじけ、落ちて、あんなところに引っかかってる彼女よりはよっぽど。
崖のふちにしゃがみ込み、懐中電灯で真下を照らす。さほど遠くないところに、茶色の髪の頭が見えた。がっくりとうなだれたその後頭部の損傷が激しいようだが、血は乾ききり、髪の根元は黄色く乾いたものになっている。その背の頑丈そうなリュックが岩の出っ張りに引っ掛かっているのが見えた。
無気力に足からゆるく踏み出したせいで、岩壁との距離が近いまま落下、そのせいで頭を打ち、その上背負ったままのリュックが岩に引っかかったといったところか。直前に聞いた水音のせいで落下のイメージが強かったのだろう。それが叶わなかったばかりに想いを残し、しかも成仏できなかった理由を死んだ日付に見出した。彷徨っている間にとっくに夜が更けていただろうし、気づいていて死に際にはいじけていたのかもしれないが。
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