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 空気のように息を潜めて、誰とも話さず目も合わせない。静かに、ただ静かに、過ぎ行く時間を堪え忍ぶ。学校という広大な敷地の一室の、小さな小さな片隅で僕が存在することを許されるただ一つの方法。  唯一の在り方。  そんな学校生活でも楽しいと感じられる瞬間は、まだあった。  午前最後の授業の終わりを知らせるチャイムが、小難しい単語で埋め尽くされた黒板と真面目な面持ちでそれを解説していく教師の手前、ギリギリで踏み止まっていた空腹感を解き放つ。  誰かの空腹が授業終わりの先生より早く購買目掛けて教室から飛び出した。誰かの空腹は大切な友人と机を合わせて語っていられる時間の訪れに微笑んでいたし、また別の誰かの空腹は箸を忘れたことに気が付いて項垂れていた。  賑わい漂う空腹達に身を潜めるように、上手く紛れるように教室を後にして、今日も僕は一つの紙袋と僕の空腹を抱えて歩き出す。  自動販売機で買ったばかりのコーヒー牛乳の冷たさが額に当てると、夏の暑さに丁度良い。そのまま、歩いた。上を向いて、歩いた。ここはまだ学校の中なのに、不思議といつもこの時だけは下を向かずに歩いていられた。そんな風に目指した先は今にも壊れそうな旧校舎の裏庭。そこでポツリと佇む色の薄くなった青色のベンチ。木陰で一人、空の下で食べるパン。これが僕の楽しみだった。  馴染みのロゴが入ったシールを捲って開けた紙袋から弾けるように溢れた、パンの香りは今朝の一場面へと僕を拐う。 『今度の新作はな、この店開店以来の最高傑作だからよう。お昼、楽しみにしてな。なんなら早弁しちまってもいいんだぜっ』  店主のおじちゃんが誇らしげに胸を張りガハハ、と豪快に笑った。年期の入ったレジを手慣れた様子で操る奥さんも『毎度毎度新作作るたんびに"最高傑作"らしいけど。半額になってからやわら売れ始めるんだからとんだ"最高傑作"よ』と悪態をつきながらも愛しさ滲む笑顔で笑った。  そんないきつけのパン屋さんの香りをかき集めて詰め込んだような袋が脳裏によぎらせた今朝に思わず口許が緩む。  緩んだ口許はそのままに、袋からパンを取り出した。香りは一層際立って、頬張りたい欲求を駆り立てる。忙しなく制服のポケットから携帯を探り当て、比較的優しい校則に甘えて人のように笑って寄り添う二匹の猫にカメラを向けた。
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