第1章

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 文久は慌てて受話器を置こうとした。しかし、自分の腕が動かない。何か、見えない力に押さえつけられているように、受話器は耳から離れなかった。  悲鳴を上げようとしたが、声どころか息もできない。隣に座っている同僚を見るが、こちらの異変に気づいていないようだ。 『でも、もう大丈夫だよ。そのお兄さんが、トシ君になってくれるって言うから』  ぶるぶると腕が震るほど腕に力を入れた。それでも受話器を置くことができない。  経のうねりの中で、かすかに笑いを聞いた気がした。抑えようとしても抑え切れていない含み笑い。それは、少しずつ大きくなってくる。近づいてくる。  空気が細い管を通るような、絹ずれのような、シュルシュルという音が受話器からほとばしった。そして突風のような物が、受話器から飛び出し、鼓膜を破り、脳の中に押し入ってきた。文久の意識は闇にのまれた。  机の上につっぷした文久の体は、すぐに起き上がった。手には、まだ受話器を握ったままだった。  今までよりもワントーン高い、柔らかな声で受話器の向こうに話しかけた。 「ああ、もしもしおばあちゃん? ありがとう。無事にこの世に戻ってこれたよ。おじいちゃんにもお礼を言っておいて」 『よかったねえトシ。本当によかったねえ』 「それにしても、他の人の体を乗っ取って生き返るって変な気持ちだな。でも、そのうち慣れるだろう」 『トシ、お礼のお金はきちんと払っておかないといけないよ』 「分かってるって。きちんとこの文久とかいう人の口座に、僕のお金を振り込んでおくよ」 『そうじゃないと詐欺になるからねえ。私はちゃんと『孫になっておくれ』と言ったし、お金も払うんだから、なんの問題もないよねえ』
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