0人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ
寛平二年(八九〇年)春、讃岐守の任期を終え、帰京したすぐあとに、大内裏の雅院で曲水の宴があった。宇多天皇側室義子の父である橘広相、藤原良房の養子の関白藤原基経、讃岐守の任期を終えたばかりで元文章博士の菅原道真、道真の岳父島田忠臣などの面々であった。
御世は宇多帝の治下、その日の一見穏やかな天気は、国情を象徴しているかのようだった。
道真はその宴にて、一句御製の詩を賜った。応じて、詠うに、
「風光を愛でる暇もなく讃岐の海浜に臥し伏していた
今素晴らしき日月を得たことを賛じて歌う
手前近くに臨む桂の宮雅殿の回流の水
遥かに想いを馳す唐の国蘭亭の晩景の春
御盃流れ来て水面の梅花乱れる
御簾巻き上げて青空の下弦顕れる
常に歌うは天皇の麗しき恩恵
久しく詩臣たらんことを願う」
杯を取って飲み干す道真に、天皇は言った。
「長年の讃岐赴任、御苦労だった。かの地の国情はどうだったか?」
「民は疲弊し、国政も廃れておりました」
天皇は、表情を曇らして道真の目を見た。
「地方の国政は乱れているということか?」
「畏れながら、我が微力がどこまで通用したかは、俄かには判断つきません」
宇多帝は、即位したばかりの若き理想を、爛爛と両眼に滾(たぎ)らせて言った。
「都からそう遠くは無い讃岐の地ですら、そのような状況ならば、全国の世情は、さぞかし芳しくないことであろう。どうにかせねばならないな。田公は赴任の際、美濃の国情はどうであったか?」
同席していた道真の岳父島田忠臣が、少し顔を歪めて言う。
「治安が良いとはいやしくも言えません」
「基経、何かいい知恵は無いものか?」
藤原基経は、表情を神妙にして、ぼそりと答えた。
「この場では、何も言えないです」
宇多天皇は、御眉をひそめて言った。
「今日の宴も、万民の生活苦の上に、成り立っているのだ……。臣等、ゆめゆめ疎かにすまいぞ」
道真は、若い天皇に、敬意を払って言った。
「全ては、神の血筋を引く天皇家による恩沢によります。神無くして民が暮らせましょうか」
「しかし、民あっての天下平安だ。民民には、不自由なく暮してもらわなければならぬ」
「仰る通りですね。もう少し、治世を改善せねばなりません」
最初のコメントを投稿しよう!