第1章

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 何も持たないことは、たいしてデメリットにはならなかった。何もなければ人は、自分にとって本当に必要なことしかやらなくなる。生きるのに今、必要なものは、実はそんなにはなかった。逆に、失うものもたいしてない。ぼくの歌の前で賛否両論、無関心、それらすべてを色にして歩く濃い人たちを捉えながら、ぼくは次第に場に慣れ、視線を合わせなければただ流れて行くだけの障害物に図太くなっていった。それが目的だった。ウケる歌、好まれる歌を歌いに来たんじゃない。そんなスキルは始めからない。際立つものなんかないから、ここにいるんだし。騒音と同じ、いつの間にか通り過ぎる音を、ただ歌う。詩は毎日生まれ、曲は毎日頭を駆けめぐり、思いつくままに歌を歌った。自分の色をそのまま。野次にも負けず、ひょろ長くて細いけれども雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち、欲はあるけど金はなく、時々怒り、悲しみ、大抵静かに笑っている。好きなことじゃなければ、やりたいことじゃなければ、こんなことはできなかったろう。宮沢賢治もビックリだ。    ぼくの歌は、ホームレスには好評だった。寒い日や雨の日や月のきれいな夜に、歌ってくれとせがまれることもあった。彼らはものすごく意固地で頑固だったけれど、ああ見えて寂しがりやで、心を開けばやさしい人が多かった。一人のホームレスが言った。    「おい、おまえ。世の中はそう簡単には行かないぞ。でも、もし、それでもおまえがいつか有名になる時があったら、その寝袋をオレにくれ」    ぼくはその時には、寝袋を渡すことを約束した。
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