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五分だけの恋
その日は真夏の暑さにも似た、春の終わりを告げる季節だった。
俺こと、海川もぐるは建築現場での作業を済ませ、急いで自宅に向かっていた。
急いで帰る理由は酷く単純だった。
自宅の前に先輩こと、山岡のぼるが車で迎えに来ていたからだ。 現場から家まではそう遠くはなく、走りさえすればすぐに帰ることができた。
そして、何故先輩が家の前に来ているのかというと、夜はキマって踊れるバーで一杯ひっかけるというのが、先輩との日課となっていたからだ。
「おお! もぐるーここだーここー」
身を乗り出して呼ばれなくとも、二年同じ車と同じ顔を見ているのだから……と、思いはするが、伝えることも出来るはずもなく。
「おいっす! 先輩横乗りまっす!」
先輩の運転する車の流れる町並みを見ながら、俺は夜の到来を待ちわびていた。
バーに着く頃には夕方を忘れるだけの理由がそこに存在した。
夜の到来だ。
俺と先輩は空いているコイン駐車場に車を止め、二人でバーへ歩みだした。
その時……。お洒落なアメカジ系の若い女性が目に飛び込んだ。
髪は茶髪で服装はTシャツとジーンズ、そんな感じの若い女性がこちらを見つめていた。
「おい。 もぐる……あれ、あの子。 お前のツレか?」
そう聞かれた俺は、真面目な顔で答えを探した。
でも、探さなければいけない程度の答えなら、それはやはりないと判断した。
「いや。 先輩、俺知らないっすね」
先輩の目線が、俺のすぐそこを見つめている気がした。
その瞬間。
もぐるの体に、若い女性の柔らかな感触と香水の香りが絡みついた。
時の進みが完全に止まる、その一瞬がそこにあった。
その若い女性は、もぐるを抱きしめていた。
目を丸くする暇も無かった。 もぐるは女性の目を見つめた。
同じくその女性も、もぐるの目を見つめていた。
時間にして四分程度なのかもしれないが、もぐる個人の時間は確実に止まっていた。
見つめ合う二人がそこに確実に存在していたのだ。
もぐるは、何故俺を抱きしめたんだと尋ねようと思ったそのとき。
もぐるの唇に、女性のその柔らかな唇が重く重なっていた。
二人の唇の感触を二人が同時に感じ合い、二人は瞳を見つめ合った。
その瞬間、女性はもぐるの横を擦り抜けて行った。
無言のまま。
たった五分だけの恋が終わりを告げた。
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