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それからの生活でも、私のそばにはずっとあの銀色のケトルがあった。
彼氏と別れたときも、化粧品会社に就職したときも、別の彼と結婚したときも、子どもができたときも、ケトルが私を見守ってくれた。
悲しくてどうしようもないとき、私はケトルをそっと擦った。
そのたびにケトルの口の部分からは渦のように空気が巻かれ、その人が現れてくれた。浅黒い肌にほどよく筋肉がついた体、時折見せるはにかんだ表情はあどけなさの残る少年のようでもあった。
ケトルから出てきたその人は、やり場のない私の感情をやさしく受け止め、なぐさめてくれた。彼は何もしゃべらない。初めて私の前に現れたときからそうだ。アラビアンナイトのランプの魔人のように願いを叶えてくれる様子もなかったが、いつでも私のそばに現れて、優しく見つめてくれるだけで幸せな気分になれた。
ある嵐の日だった。
よちよち歩きで家の中を歩き始めた息子は、私とは似ても似つかない好奇心でもって家中を徘徊していた。
私が別の部屋で掃除をしていると、リビングから物音が響いた。
音を聞いて慌てて息子のもとへ向かうと、床に転がっていく銀色のケトルが見えた。幸いケトルにお湯は入っていなかったものの、息子は床に転がっているケトルを両手で抱えると、嬉しそうに擦っていた。
息子のそばで空気が渦を巻き、ケトルからはあの人が現れた。ケトルの魔人とも言うべきか、私にいつも優しい微笑みをくれるあの人だ。床に座りケトルで遊んでいる息子を、すぐ近くで見つめていた。しかしその顔には普段のような穏やかな笑みはなく、私は言い知れぬざわめきが心の中に充満しているのを感じた。
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