3. 恋するケトル

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 ケトルのあの人が息子に危害を加えるなんて、そんなはずはない。しかしケトルから出てきたあの人は相変わらず息子に冷たい眼差しを送っている。息子には見えていないのか、その人の存在に気づく様子はなく、手に持っているケトルを振り回して遊んでいた。  命に代えても息子は守らなければと思った。お願いだから息子に危害は加えないで。  実際口にしていたのかは分からないが、心の中でそう思ったのは事実だ。  私の想いは彼に届いたのだろうか、そもそも届いていたとして私の願いを聞いてくれるとは限らないのだが、現実を直視できない気持ちからか、目の前が真っ暗になっていた。しかしそれは気持ちの問題ではなく、本当にまわりが暗くなっていたのだ。空には分厚い雲がかかっていたが、まだ昼過ぎのはずだった。ここまで暗闇になるものなのか。まるで光のない世界に迷い込んでしまったかのようだ。  暗闇の一部だけが明るくなっていた。そこには見慣れた家のリビングが見える。あの男の姿は見えなくなっていた。必至で息子の姿を探す。  息子は生きていた。先ほどと同じ場所で座りながら、泣いている姿が目に飛び込んでくる。私は必至に息子の名前を呼ぶものの、気づいていないのか泣きじゃくったまま反応してくれない。  その後も必死に息子に呼び掛けた。そこにあの男はいるのか、怪我はしていないか、姿は見えるものの泣きやまない息子が心配でたまらなかった。  息子の腕が一瞬だけ映った。暗闇の中で明るく照らされた景色、今まで息子が見えていたその景色がぐらぐらと揺れ始めた。  そのとき、ここがどこなのかようやく分かった気がした。ケトルの中なのだ。銀色に輝くケトルの中に私はいるのだ。息子の泣き声が聞こえなくなった。ケトルの外の息子と初めて目が合った。私に気づいているのかいないのか、息子は片手に持ったケトルを不思議そうに見つめていた。
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