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峠へと向かっていく。
わたしがこの場所に来るのは初めてだ。
子どものころは大人の言いつけをしっかり守って、一度もそこへ行ってみたことはなかった。
峠の風穴。
時間をとびこえるという、神隠しのほら穴。
瑠璃はきっと、そこへ行ったのに違いない。
そう思うのにはわけがある。
瑠璃は家族のことを話したがらなかった。でも、たった一回だけ見たことがある。
あれは日が暮れてから、祖母の言いつけで、近所の雑貨屋におつかいにいったときだ。
近所と言っても、山のなかだからけっこう離れている。雑貨屋に行きつく前に神社があった。
それでなくても真っ暗で、山奥の夜はぶきみなのに、神社のなかは、さらに真っ暗で薄気味悪い。古びた狛犬も迫力がありすぎる。昼間でも妖怪が出そうな神社だ。
わたしが走って神社の前を通りすぎようとしたときだ。泣き声が聞こえた。子どもの声だ。
わたしはオバケが出たと思って、足がすくんだ。
鳥居の前の石段に、子どもがすわってる。
その姿を見て、わたしは別の意味でおどろいた。
瑠璃だ。
泣いてるのは、瑠璃だった。
「どうしたの? 瑠璃?」
瑠璃はわたしに気づいて、ハッとした。顔をそむけようとする。
「どうしたの? ころんだの? どっか痛いの?」
わたしはなんて幼稚だったんだろう。
そのころ、男の子が泣くときは、体が痛むか、友だちとケンカでもしたときくらいだと思っていた。
瑠璃はもっと深刻な悩みをかかえていたのだと、今ならわかる。
瑠璃は首をふって、わたしを押した。あっちへ行ってくれと言いたいのだ。
でも、わたしは去らなかった。そんなふうに泣く人を、ほっとくことなんてできない。
わたしがとなりにすわると、瑠璃は最初、体を遠ざけた。
だけど、どうしても涙が止まらなかったようだ。ぼろぼろ泣きながら、必死に自分を抑えようとしている。
その姿に、わたしは胸の奥がキュッとなった。
この人を守ってあげたい——
ほとばしるような思いがこみあげてきた。
わたしは瑠璃を抱きしめた。
瑠璃はわたしの胸にすがって泣いた。
あの夜のことは、わたしと瑠璃の秘密。
翌朝、会ったときには、瑠璃はもういつもの瑠璃だった。だから誰も、瑠璃の心が深い暗闇をかかえていることに気づいていなかったんだと思う。
峠の道はだんだん、けわしくなる。標高はそれほど高くない。でも、まわりに崖や倒木など、危険が増えてきた。
何度か、くじけそうになりながら、ようやく、わたしはその場所に立った。
時の風穴——
雑木におおわれた黒い穴が、目の前にある。
ほんとに、ここへ入れば、時を越えられるんだろうか?
いや、そんなことあるはずがない。
でも、きっと、瑠璃は信じていた……。
(あんなこと、言わなければよかった。おばあちゃんから聞いた話、瑠璃には……)
瑠璃は泣いていた。
泣きながら、こうつぶやいた。
「……お母さんに会いたいよ」
あのときはただ、瑠璃がさみしくなって、遠くにいる母親に会いたくなっただけだと思ったけど。
瑠璃のお母さんは死んでいる。
だとしたら、死んだ人に会うことは、ふつうの方法ではできない。
でも、時を越えることができれば……。
だから、瑠璃は一人でここへ来たんじゃないか。
そんな気がしてならない。
わたしは暗いほら穴へ入っていった。なかはほんとに真っ暗だ。何も見えない。
でも、ここに瑠璃も来たんだ。
瑠璃も歩いたんだ。
子どもだった瑠璃には、今のわたしよりも恐ろしかったはずなのに。
そう思い、奥へと進んでいく。
どのくらい歩いただろうか。少なくとも五、六メートルは進んだ気がする。
暗闇を歩くことに少しなれてきた。思っていたより、道は平坦で歩きやすい。
どこまで行けば、時間を越えられるんだろう?
できることなら八年前にもどって、瑠璃をひきとめたい。
ダメだよ。行っちゃダメ。
行かないでと言いたい。
わたしはあせっていたのかもしれない。ぐんぐん進んでいくと、いきなり、ふみだした足が空を切った。崖になっていたのだ。
わたしは悲鳴とともに落下した。
もうダメ、死ぬ——と思ったとき、誰かがわたしの手をつかんだ。
(誰? 瑠璃なの?)
わたしは力強い腕にひきあげられ、かろうじて転落をまぬがれた。
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