第1章

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 カウンターから「お煎茶もありますよー」とユリさんが叫ぶ。 「あ、ぼくは番茶で」 「なんだおめー、番茶でいいんじゃねぇか。ユリちゃん、わし、いなりと赤飯ね」 「はーい」 「おめーは?」 「ええ?じゃあ、五目おにぎり」 「ユリちゃん、五目ひとつ」 「はーい」  すぐに、いなりや赤飯や五目おにぎりが乗った皿と、漬物と、淹れたての番茶が運ばれてきた。 「どうぞ、ごゆっくり」  それだけ言って、ユリさんはカウンターに戻る。 「いい店だべ?ユリちゃんはいい女だし、いなりは五十円で安いし、漬物サービスだし」 「こんな店、あったんですね」 「ずっと昔からあった。もう三十年くらいになるんじゃねぇか?ユリちゃんのばあちゃんが始めて、ばあちゃんが死んでから母さんがやって、母さんが歳取ってきたから、今はユリちゃんがやってんの。三人の中でユリちゃんが一番やさしくてめんこいなぁ」 「三十年前から? この辺、今まで何回も来ているけど、全然覚えないなぁ」 「見える人と見えねぇ人がいるんじゃねぇの?この店、時々消えっから」 「は?」  やはり。何かがおかしい。この店はとても怪しい。佇まいが尋常じゃねぇ。  はっ・・・・ここはもしかして、昔話に出てくる旅人を騙して迎え入れ夜な夜な包丁を研ぐ老婆のいる古びた家・・・・どうりでこのユリさん、なんだか浮世離れした感じがする。まるで幻のような。そこにいるけど、本当は実体のないような。じゃあこのいなり寿司は馬の糞で、お茶は馬のしょんべんで、お金は葉っぱで、キツネが恩返しに木の実を持ってくるという・・・・だいたい勢さんが茶を飲みにぼくを誘う時点で怪しい。このじじい、河童を信じてるんだから。 「冗談に決まってるべ。やっぱりパサラだな、おめー」  だってこの店のロケーション、洒落になんねぇじゃねぇかよ。中はともかく、外装はちょっとまちがえればお化け屋敷だぜ。 「ユリちゃーん。番茶おかわり」 「はーい」  茶を飲むスピードが速いぜ。激熱の番茶なのによく飲めるぜ。じじいってほんと、茶とか風呂とか何でも熱いのが好きだよな。 「ここは何杯でも茶が飲めんだ。な、ユリちゃん」 「はい。好きなだけ飲んでいってください。心をこめてお淹れしまーす。あの、お茶のおかわりはよろしいですか?」 「あ、ぼくはまだいいです」 「ユリちゃん、こいつ、同じ会社のタロウ。ここに来るの初めてだっつーから、連れて来てやった」
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