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水の中の地球。それをどうしてあの人が知っている。そんなシンクロってあるのか。あの時、訊けばよかったんだ。でも、訊けなかった。もう一度あの店に行って、あの人と話したい。でも、ぼくはそのためにあの店に行くのか。ひとりで?ひとりでいなりを食い、番茶を飲むのか。勢さんや社長のように、ユリさん目当てで来たと勘違いされるんじゃないか。そもそも社長が目を付けている女に会いに行っていいのか。そんな気なんてないのに。いや、ほんとにないのか。ぼくはもしかしてあの人に惹かれているのか。だからこんな思いに駆られるのか。だとしたらヤバくねぇか。面倒なことになったら困る。いや、ならねぇだろ。下心なんてない。しかもぼくはイケメンじゃないし。あれ、ぼく何言っちゃってんの。そんなこと考える必要ねぇだろ。考えすぎだって。なんでこんなに考える。じじいだって気軽に行ける店なんだ。行ったって問題ねぇだろ。
いやちがう。水の中の地球だ。ガキの頃のことが今、なんでこんなにはっきりと甦る。消えてなかったのかよ。知りたい。会って話したい。なんだこの衝動的なもの。持て余すぜ。やんなるぜ。ああ、疲れる。
バカみたいな思いの堂々巡りを繰り返して、ついにぼくは降参した。
どうしようもなくなって、仕事帰りに店に向かった。たまたま近くに来たから立ち寄った体を装って。行ったところで、どうせ望む答えなんて人からはもらえないんだと何度も自分に言い聞かせて。そのわりには心臓の音が耳で聴こえるくらいバクバクして、ガキみたいに情けなく動揺していた。ようやくきた夏の、異常なくらい赤い夕焼けの日だった。
「あら、タロウさん。おひとりですか?いやでなければ、どうぞこちらのカウンターに。ヒマすぎてぼーっとしていて。話し相手がほしかったところなんですよー」
彼女はぼくの名前を憶えていた。予め用意していた想定をすべてひっくり返して、自然にぼくを受け入れた。不覚にもぼくは、それだけで子どものようにうれしくなってしまい、自分の中からあふれてくる言葉をそのままにしゃべってしまった。
「それ。水の中の地球。ぼくは五歳の時、八郎沼に落ちて、それと同じものを見たんです。沼の大きさいっぱいに沈んでいて、すごいパワフルなんだけど血を流しながら回っている地球を」
「そうね。私も見た」
「え?」
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