第1章

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 勢さんの腕や首にはまだ現役時代の筋肉がついているというのに、こういう時だけ、勢さんはよぼよぼと必要以上に老人の雰囲気を醸し出す。やるな、じじい。  竿で深さを確かめながら少しずつ噴水に向かって歩いてみるが、途中でもう全然深い。 「勢さん、どうする?管は交換しちゃった方が早いと思うけど、あそこに行くまでにぼくたち沈んじゃうね」 「んだ。この沼は深いんだから。昔から底なし沼って噂があって、足を引っ張る河童がいるんだと」 「だったら最初から教えてよ」 「ふふん。何でも経験だ」 「あ、でも、底はあったよ。河童はいなかった。ぼく昔、落ちたもん」 「落ちた?バカだな、おめぇ。昔からパサラだったんだな」 「パサラって何ですか」 「全然ダメってことだ」 「じゃあ、全然ダメだな、でいいじゃないですか。そんな地域年齢限定方言つかわなくても」 「ふふん」 「社長に言って、ゴムボートでも用意してもらわないと作業できないよ」 「どっかから借りてくるだろ。社長がこの仕事、やらねぇわけねぇもの。漕ぐのは任せとけ。わしは夜釣りすっからな。手漕ぎの船の操縦は慣れてんだ」 「へー。勢さんやるじゃないですか。元気満々じゃないですか。じゃあ今も一緒にウェーダーで沼に入れたじゃないですか。むしろ着慣れてるじゃないですか、釣りするんなら」 「そうだよ」 「・・・・・」 「二人で行ってどうすんだよ。河童に捕まるのはひとりでいいから」 「・・・・・」 「おめぇ、役所で管のサイズ調べといてもらえな。ついでに発注もかけとけよ」 「勢さんは何やるんスか」 「だから、わしは船を漕ぐ」 「・・・・・」 「さあて、今日の仕事は終わったな。早く終わったから茶を飲みに行くべ」 「茶?どこに」 「近くにいい店があるから、連れてってやる」 「店?この辺り、林と畑ばっかりっスよ?喫茶店とかあったかな」 「いいから。行くべ、行くべ」  まっすぐ会社に帰る気がまるでない勢さんのナビで、車を走らせた。  目的の場所は、意外にも車で走って二分で着いた。
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