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「あなたには祭囃子が聞こえました。分かれ道もご覧になりました。つまり、あなたは私達の後釜として選ばれ、この民宿を継ぐことになるのです」
こいつら、人の話を聞く気はまったくないようだ。僕はその時、恐怖で麻痺してしまっていたのでしょう。思わず笑い出してしまいました。
「何の冗談か知りませんが、僕は単なる旅行者ですよ? 何故、そんなことをしなければならないんです。僕も人を殺さなきゃいけないんですか?」
「ええ、そうですよ」
平然と答える女将。
「あなたはこの宿の名前をご覧になりましたか?」
「もちろん。予約しましたしね。山鳴荘でしょう?」
「そのとおりです。この宿は人間の為のものではありません。ヤマナリサマの為のものなのです」
「ヤマナリサマって何ですか?」
この質問に答えは返ってきませんでした。
「だって、この宿は人を泊めるんでしょう? 生きて返してはくれないみたいだけど」
「そうですよ。ヤマナリサマのお食事の為に人を泊めるんです」
その言葉を理解するのには少し時間がかかりました。僕はいきなり立ち上がって廊下から台所に走りました。
先ほどの冷蔵庫を乱暴に開けると、そこに入っていたのはビニールに包まれた無数の人間の手足や内臓でした。
途端に先ほどの光景を思い出し、吐き気がして、勝手口のドアを開け、外に出ると何度も吐きました。そして顔を上げると目の前の外灯に照らされていたのはおびただしい数の衣服とリュックと靴。
「お判りになりましたか?」
男に腕をぐいと掴まれ、そのまま部屋まで連れ戻されました。
「あなたはもう帰れません。ここはもう現世ではないのです」
そう言いながら、男は紐で頑丈に縛られた本を取り出し、僕の前に置きました。
「これを自分で解いて読んでください。それで私達は解放され、あなたは殺されることなくここの主人になれるのです。読まなければいずれ、あなたはヤマナリサマの餌になります」
もう、僕の思考は停止していました。無意識に紐を解こうとすると、あの浴衣の少年の言葉が頭に蘇ったのです。きっと、あれは警告だ。本当は読まなければ助かるのだ。
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