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それから賀川は仕事が早く片付いた日は、自宅の最寄り駅を通り過ぎて、結城が働く図書館へと通った。相変わらず言葉は交わさなかったが、定期的に催される朗読会には都合がつく限り参加した。
結城は傍目には無表情を装っていたが、賀川を強く意識しているのが判った。
あの頃と同じように、物語はその少し高めの通りの良い声で淡々と紡がれたが、そこには賀川にだけ判る感情の揺らぎがあった。
顔見知りになった結城以外の職員とは調子よく話せるのに、結城にはなかなか話し掛けることが出来なかった。つくづくやっかいで臆病な性格だと自分でも思う。
だがそうこうしているうちに、会社から他県への異動という急な辞令が下りた。転勤先での着任日までにあまり日がなかったため、賀川は慌ただしい日々を過ごした。
結城に会いに行けたのは、出発の三日前だった。多分、すでに同僚から賀川の転勤のことを聞かされていたのだろう。その日は一度も目が合わなかった。そんなことは出逢ってから初めてのことだった。
いや、一度だけ、卒業の日も結城は賀川の目を見ようとはしなかった。
賀川はそれを、結城の拒絶、あるいは諦めと捉えた。だが今の賀川なら、それが彼の精一杯の「合図」だったのだと判る。
だから、今度は間違えない。賀川は持っていた文庫本にメモを挟み、結城に渡して欲しいと同僚の一人に託した。
――今夜八時、K公園に来てほしい。
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