会社(の)事情(第一話)「そら、エライコッチャ!」 の話

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 対して、男は女ほど長生きしないし、メンツ第一というか男の沽券にかかわると思ってか、姿勢が硬直で生きるのに不器用。しかも、何処か孤独な陰影と寂寥が付きまとっている。要するに陰気なのだ。例えば古の歌人西行法師にしても、「ーーー夢は枯野を駆け巡る」の松尾さんにしても、近代の高等ルンペン山頭火にしても、「世捨人ごっこ」をやるのは、どうして何時も男なんだろう? 不思議でならない。  男は余り群れず、本人にすれば孤高を愛するのを誇らしく思っている風に見えるが、悲壮感が無くも無い。何やら気の毒だ。先日の喫茶店でのランチタイムだって、隣のテーブルでカレーライスを独りで食っている六十過ぎのおっちゃんがいた。西行法師や山頭火と同じ雰囲気だ。  カレー汁に浸した飯粒を、スプーンでひと掬いして、グイと細い首を伸ばすやゴクリと呑み込む。痩せカンピンで、干物みたいになった首と来るから、その度に喉仏があからさまに上下する。カレーの食い方は巧者だが、首の伸ばし加減から見れば通とまでは言えない。  一口呑み込み終わる度に、しみだらけの顔を虚空にかざして、やがて目を一度パチクリさせる。鶏(にわとり)が首を傾げて左右の目で、食い物のありかを交互に確認しているみたいだ。本人は新種の哲学を考えている積りらしいが、鶏(にわとり)との類似性を考えると、滑稽の中に哀れを感じる。
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