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政治の場である中央院にある、王の執務室。ユリエルはその前に立ち、硬く扉を叩いた。
「ユリエル、参りました」
「入れ」
すぐに声があり、ユリエルは従って中に入った。
正面にある執務用の黒檀の机の奥に王はいた。年の頃は五十を過ぎ、少しくたびれている。心労の色も伺える。その王が、こちらを見て頷いた。
「ユリエル、ラインバール平原ではご苦労であった。見事な戦いだったと聞いている」
「運が良かっただけでございます」
彼は軽やかに、歌うような声で告げて静かに頭を下げる。この姿を、人は慇懃無礼と言う事がある。華やかな出で立ちと声音は、劣等感を刺激するらしい。
だが、ユリエルはいつもこのように振る舞う。王もそれを、咎める事はなかった。
この日、ユリエルは一カ月ぶりに王都に帰還した。ここより二百キロほど離れたラインバールと呼ばれる前線へと赴いていたのだ。
隣国ルルエとは、もう長く睨み合いが続いている。その最前線が、国境のラインバール平原だった。
一カ月と少し前から、膠着状態だった両国が再び戦争へと転がりだした。ルルエの前王が病死し、新たな王が即位した事でタニス側が戦を仕掛けたのが原因だった。
一時はタニス側が優勢で、ラインバールを平定しそうな勢いだった。だが、着任した新王がこれを知り、すぐに反撃。その結果、タニスは一気に危機に陥った。
このままではラインバール平原の覇権を奪われる。この段階でようやくユリエルが呼ばれて指揮を執る事となったのだ。
ユリエルは残された兵を再編成し、見事に劣勢を覆し、ルルエ軍を押し返した。結果、平原を手中に収めることはできなかったが、再び膠着状態に戻す事には成功したのだった。
だが、ユリエルの危惧はこの戦とは違うものに向かっていた。
一つは、王が軍の暴走を止める力を持てなかった事。今回の事は軍の上層部が勝手に判断した結果だ。これこそが、最も危惧すべき王の弱体化だ。これが横行すれば、一気に国は戦争へと向かっていく。無用な争いが増えればそれだけ、国が疲弊してしまう。
更に言えばこの戦いを支持する諸侯や大臣の影が気になる。奴らは戦争を隠れ蓑に私腹を肥やすつもりだろう。これほど大きな目くらましもないだろうし、こうした嗅覚は鋭い奴等だ。
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