無名の碑

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 その時、また違う足音が廊下に響いた。体重のある者の、妙に堅苦しい規則的な足音。それは、少し急いでいるように思えた。この足音の主を、ユリエルは知っている。そして、彼がここに来ることも予測していた。 「殿下!」 「グリフィス」  廊下からユリエルを見つけて声をかけた男は、とても険しい顔をしていた。 「殿下、話しを」 「グリフィス、後にしてくれませんか?」 「ですが!」 「グリフィス」  声を荒げるわけではない。だが、ピシャリと言い放つ声には鋭い命令の色がある。ユリエルよりも大柄な青年は、それ以上なにも言うことができず困った顔で立ち尽くしてしまった。 「兄上、僕は…」 「シリル、私に何か用があったのではありませんか?」  さきほど青年に向けたのとは違う、柔らかく温かな声にシリルはおずおずと頷く。 「あの、お帰りになったと聞いて嬉しくて。お茶をご一緒できないかと」 「いいですね。では、庭に出ましょうか。今頃は薔薇が見頃でしょう」  穏やかに言って、ユリエルはシリルの背に手を回して促した。それに、シリルも戸惑いながら従う。  残された青年は物言いたげだったが、傍を通り過ぎる頃には諦めたようで、困った顔をして小さく礼を取ったのだった。  のんびりとした午後のお茶を楽しみ、ユリエルは自室へと戻ってきた。優しい弟との時間は、冷たくなった心を解し、温めてくれるようだった。だからだろう、あの子との時間を大切にしたいし、あの子自身を大事に思うのは。  だが、自室の前で待つ人物を見ると、自分が何者かを思い出してしまう。まぁ、予測はできていたが。 「お前も律儀ですね、グリフィス」 「殿下、そのような悠長な様子で」  青年の声は困ったような、溜息混じりのものだった。そしてその表情は、とても厳しかった。  この青年の名はグリフィス・ヒューイット。タニス国一番隊を任される年若い将であり、この国一番の騎士だ。短い黒髪に、切れ長の黒い瞳の精悍な顔立ちの青年で、なかなかの美丈夫。その肉体は逞しく、衣服を脱いでも鎧を纏うかのような美しい体をしている。  ユリエルとはそう年が違わず、同じ軍籍にあることからも親交の深い人物である。 「とりあえず、中に入りなさい」
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