第3R『デビュー』

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 隣のフロアで帰る準備をしていると、ゆっくりとこちらに向かって来る人がいた。会長だ。見に来てくれてたんだ。会長とは、ほとんど会話をしたことはない。正直、苦手。でも今日は、僕のがんばりを認めてくれるかも。 「おつかれさまです。見に来てくれたんですね。ありがとうございます!」 「おつかれさま」 沈黙。深く息をつき、ゆっくりと口を開いた。 「お前は…なんで負けたのにへらへらしてられるんだ?」 えっ?だ、だって…やれるだけやったし…。 「悔しくないのか?本気でやったんなら、悔しくて、悔しくてたまらないはずだ」 そりゃ、勝てるなら勝ちたかった。けど…、でも、だって…。 会長は、険しい表情をして、去っていった。僕は言い返すことも、会長の方を見ることもできなかった。  帰り道。駅までの道が遠く感じた。足取りが重い。体が疲れているだけじゃない。会長の言葉が突き刺さっていた。 通りに人の姿は見当たらない。さっきまでの会場の熱気がうそのように静かで、この世界に一人だけになったような気がした。今日の出来事が現実だったと実感できるようになるには時間がかかるかもしれない。 視線のずっと先、遠く遠く先に人影が見えた。あれは、あこたんだ。間違いない。走って追いかけようかと思ったけど、様子がおかしい。 顔を隠すようにうつむき、ゆっくりゆっくり歩いている。肩が揺れていた。長い髪も一緒に揺れる。あこたんは泣いていた。 あこたんは、あの演技に、あの成績に、納得していなかったのだ。それでも気持ちを押し殺し、笑顔を見せてくれていたんだ。 悔しい。悔しいと思えなかった自分が悔しい。気が付かなかった自分が悔しい。自分のことしか考えられなかった自分が悔しい。もっと強くなりたい。強くなって自信を持てば、きっと周りを見る余裕もできるはずだ。 長く感じた一日だったけど、日はまだ真上にあって、今日という日を照らし続ける。 第3R『デビュー』完
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