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そんな妄想をしながら、出来る限り彼女に触れないように注意してお釣りを渡す。
先ほどまで物凄い速度で展開していた妄想とは正反対の行動だ。
彼女はお釣りを財布にしまいながら店を出て行く。
「ありがとうございました」を言いかけて、袋に入ったカレーパンとミルクティーがレジにそのまま置いてあることに気付く。
ああ、たまにいるんだよな、ぼーっとして買ったもの忘れていく人。
慌てて入り口を見ると、彼女は丁度自動ドアを出ようとしていた。
「お、お客様!」
呼びかけたって聞こえないだろう。
俺は慌ててレジから飛び出し彼女を追いかける。
チャックが上手く閉まらないのか、彼女はお釣りをしまうのにまだ苦戦しながら歩いていた。
こっちは走っているのだから、追いつくのは簡単だ。
呼びかけても、気付かないのなら仕方ない。
俺は生唾を飲み込んで彼女の肩を軽く叩いた。
突然のことに驚いたのか彼女はビクッと身体を跳ねさせてからこちらを振り返る。
白い息が、光沢のある赤い唇の間から漏れていた。
「あの、これ……」
不審がられるその前にレジ袋を彼女に見せて、薄く笑う。
たぶん、緊張しすぎていて変な笑い方になっていたと思う。
「あ……! す、すみません、ありがとうございます……!」
俺はその時初めて、彼女の声を聞いた。
なんて澄んだ、無垢な声だろう。
もっとずっと聞いていたい。
彼女は買い物をしたのに商品を忘れるというちょっと間抜けな自分の行動が恥ずかしかったのか、顔を赤らめていた。
俺の知らない彼女の素顔。
俺は自分が衝動的な行動を起こさないように必死に堪えた。
ああどうして、どうして俺とこの子は「店員と客」という関係なのだろう。
まるでロミオとジュリエットのようだ。
俺とこの子の間には、どうしようもない隔たりがあって、超えられない壁があって。
だから俺にはどうすることも出来なくて。
「……? あ、あの……?」
澄んだ声が控えめに聞こえた。
はっと我に返ると、渡すはずのレジ袋にこれでもかと力を入れていることに気付いた。
慌てて手を離す。
「ああ、えっと! すみません……!」
「い、いえ……ありがとうございました」
レジ袋を受け取った彼女は俺に軽く頭を下げてから背を向けて歩いていく。
その姿が見えなくなるまで、俺は彼女の背中をただ見つめていた。
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