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私の10年間はたった一枚の紙切れで清算されてしまえるものだった。
「…倉元。お前本当にいいのか?今以上の条件で働くのは厳しいぞ」
何度かは変わったけど、それなりに面倒も見てくれた上長が私の差し出した退職願いを手に呆れと不可解さを隠さずにもう一度繰り返した。
「はい。もう決めたので」
だから私も同じセリフを繰り返して今一度頭を深く下げる。
こまめに手入れなんかしないから結構傷んだヒールの先が目に入った。
ああ、これもう捨てよう。
そんな感傷とは180℃外れた私の思考なんて伝わる訳でもなく、上長は居心地悪そうに座り直して溜め息をついた。
「そうか。今までお疲れ様。まあ、その…なんだ。これからも頑張れよ」
きっとこの人には一生かけても理解なんて出来ないだろう。
愛妻家で通った上長はデスクに家族の写真なんかを飾っている人で、休日出勤や残業はするけれど大切な家族の行事は欠かさない完璧人間だ。
守るべき存在が居るからなと少し照れて笑う彼は、うん。そんなに嫌いじゃなかった。
「今までありがとうございました」
目を見て真っ直ぐに伝えると上長は少しだけ笑ってくれた。
本日の、いや10年間の業務これにて終了。
遠巻きに遠慮がちな視線を向けていた同僚達からまばらな拍手を貰う。
その中に一人目をほんのり赤くした私の部下を見付けて胸がちょっとだけ痛んだ。
視線で感謝を伝えて、私はペコリと一礼しフロアを後にした。
「終わったー…」
あまりの呆気なさにしっくりとこないくらいだ。
三階のフロアから一階に向かうエレベーターの中で一人呟く。
大きくはないけれど、業界のなかではまあまあ名の知れた今の会社に入って10年。
ペット用のフードを開発する部署一本で働いてきた私は約4年間チームリーダーも務めてきた。
女だてらになんて今時は言わないけど、多少とは言い難い妨害や嫌がらせも受けたけどそんなの跳ね返してきた。
一重にこの仕事が好きだったからだと思う。
やり甲斐は妨害以上の効果があった。
だけどチームリーダーになってから少しずつ生活の歯車が合わなくなっていたのも事実だった。
付き合って2年半の彼氏とは結婚の話も出ていた。
昇進した当時は喜んでくれた筈の彼が段々と不機嫌になるようになった。
私の方が収入が上になったのはそれから間もなくだ。
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