プロローグ

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   *  次に笹屋が訪れたのは石川県の佐沢市にある大仙寺だった。  そこで代々住職を務める斎藤住職(さいとう)は孫が大手の電機メーカーに勤務してるのが自慢らしく、なかなか本題の話にならなかった。  現在は九代目が住職を務めている。  さて、ひとしきり自慢話を聞かされた後、住職は「ではこちらへ」と、蔵へ笹屋を案内して、奥に収めていた行李(こうり)から、辞書が入るくらいの白木の箱を取り出した。  一椿伯爵(いちつばき)と六代目の住職は親交があり、ある兵器の資料を託されたという。  「《国難あらば、遠慮なく活用されたし》と、手紙を添えてあったようです」  「それはどのような兵器だったんでしょうか?」と、訊く笹屋に、住職は《待て!》と右手を前に出しながら、「その前に、アレを考案した一椿家がどのような家系かをお話ししたい。そのほうが、なぜ、ああいったものを考えるにいたったかをご理解していただけると思う。予備知識なしでは一椿伯爵が、単なる狂人だと思われるからです。ここでお願いがあるんですが、一椿家の子孫の方は現在、日本の自衛隊においても重要な地位にあります。記事にする際は仮名にするとかご配慮をお願いしたい」  「ご安心ください。それはもちろん、十分に考えて記事を書かせていただきます」  「それを聞いて安心しました。それでは詳しく、お話ししましょう」と、住職は話をつづけた。    さて、住職によると、一椿家は戦国時代、侍大将の家系だが外様だったので、激戦地ばかり送られて、多くの家来を犠牲にしてしまったという。  だから一族は酷薄な血筋だと、江戸時代になっても陰口を言われたらしい。  江戸時代、一椿家は長州藩の士族で、明治維新の功績により元老院に抜擢され、伯爵の称号を得るにいたった。  早くから一椿伯爵は欧米諸国に比べて、貧弱な体系の日本人を嘆き、富国強兵には国民の体格の改善と体力が不可欠と考え、体育に対する重要性を政府に唱え続けた。だからオリンピックへ選手を送る資金援助を惜しまなかったという。    「ゆくゆくはイギリスに見られるような国際的な競技場も、首都に完備しなければならない。まずは運動場を全国に建設し、各々の県から代表選手を試合によって選抜するということを構想していたようです。今でいうところの国体ですな」と、住職は説明する。  伯爵は大正四年、三月に永眠、「新兵器の研究を認めてくれさえいれば、ロシアの要塞の攻略など簡単だったろうに!」と、日露戦争であまりに陸軍で将兵の犠牲が多かったことを悔やんでいたらしい。  「たしかに研究すれば大勢の犠牲が出るだろうが、それも数百人で済んだかもしれない。しかしその人数で、旅順要塞陥落までに出た犠牲者十四万人の命が救えるなら、わたしは喜んで鬼になったろう。そう嘆いたと言うから、よほどの犠牲を覚悟しないと完成しなかったんですな」  と、住職は言う。  さて、その兵器が考案されたきっかけになった事件が起きたのは、明治二十八年、日清戦争の翌年の夏のことだ。
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