第一章 負傷

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 一椿家の別荘は、もとは参勤交代のときに大名が宿泊する本陣で村も江戸時代は宿場として繁栄したが、明治政府に県として統廃合されてからは宿場として寂れて村の規模に縮小していた。村人は避暑地に来た一椿家の長男、英(えい)輔(すけ)を歓迎した。伯爵には便宜を図ってもらい村の再興を考えていたからだ。  英輔は二十三歳、日清戦争に海軍の少尉として従軍していたが、明治二十八年、終戦まぎわに負傷して塗炭の苦しみを味わったという。執事長の大磯(おおいそ)と共に避暑に来たのは、傷ついた身体の静養もかねてのことだった。  数日は何事なく過ぎていったが、ある夜、事件が起きる。  いつの間にか英輔は女中のひとりと男女の仲になり、妊娠させていることがわかったのだ。  その女中の名は金子菊(かねこきく)といい、この村から奉公に出された少女だった。  年齢は十六歳、当時の感覚では結婚適齢期といえる。  妊娠は同じ女中仲間と親交がある料理人の告げ口で判明したのだが、これに一椿家は対応に苦慮した。普通ならいくらかの慰謝料を渡して内々で子供を処理するが、菊はどうしても生みたいと堕胎を拒んだのだ。
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