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あの事件のせいで、いや、あの事件のお陰で、領事館時代には逢うこともできなかった中国企業の重鎮達と知己を得ることができ、日本進出の仲介やら口利きの仕事で経営戦略コンサルタントとして身を立てることができるようになった。
中国では皆、自分の金儲けが第一で、誰も政治に関心など持っていない。少なくとも、持っている素振りは見せない。中国政府の政策を公然と批判して得なことなど、何もないのだ。
「政府の政策を批判して得なことなんて、ないだろう?」
祐介が自分に言い聞かすように述べると、敦夫が酔いが滲んだ瞳を振り向けた。
「それが、あるんだ。表立っては言いたくないが、日本政府が強靭だと困る連中がいるということだ。政権の支持率を下げ日本を弱体化させるためには何だってやりたい連中がいる、ということだ」
どうやら先ほどの発言を敦夫に誤解されたようだった。
祐介は思わず周囲を見回して、誰かに聞かれていないか、と注意を払った。高級ホテルの広々としたバーラウンジには相変わらず人影が少なく、ソファーに外人カップルが腰掛け、中央のカウンターでは男が一人で酒を飲んでいるだけだった。
唐突に、男がカーキ色のコートを羽織ったままスツールに座っていることに気づいた。
ひょっとしてあの男は、先日テレビ局で柱の陰に隠れたやつだろうか。
まさか、とは思うものの、嫌な予感がする。
誰かに尾行されているのではないだろうか、という懸念とは、長い間無縁だった。上海でのあの事件以来。
祐介はしばらくカウンターの男を睨んでいたが、ついに男はこちらを一度も振り向かなかった。
「おい、どうしたんだ?」
敦夫の声に我に返り、祐介は肩をすくめた。
「いや、最近些細な事が気にかかったりするんだ」
「祐介、働き過ぎじゃないのか? たまには羽根を伸ばして遊べよ」
「心配するな、遊んでいるよ」
グラスを掲げて乾杯の仕草をしながら、もう一度ちらりと中央のカウンター席を見遣ると、先ほどのコートの男の姿はなかった。
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