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2. 上海の面影
天井でレトロな四枚羽根の扇風機がゆっくりと回っている。六本木に寝室を備えたオフィスを構えた際に、インテリア会社に探してもらったアンティークの複製だ。植民地時代を彷彿とさせる優美な木製の羽根が緩く回転する様を見ていると、昔を思い起こしそうになった。
祐介は眼を背けるようにベッドの上で横になり、静かに瞼を閉じた。
上海に駐在していたのは今から十三年前、2004年のことだ。
外務省入省後、中国語研修を兼ねて北京大学に留学していた頃の中国人クラスメイトが上海におり、単身赴任の身軽さも手伝って、仕事の合間に彼とよく一緒に遊んだ。
中国は表向きは社会主義だとはいえ、内情は日本を凌ぐ資本主義の牙城、弱肉強食の世界だ。エリート校を出た友人は上海で不動産開発に携わり、巨万の富を得たらしかった。上海の一等地にレストランやクラブまで所有しており、プライベートクラブのVIPラウンジで酒を酌み交わしたりした。
そのクラブは領事館のすぐ近くで、或る晩、酔いを醒ましてから残業をこなそうと夜道を領事館に向けて歩いていると、向こうから白いドレスの女が全速力で走って来た。
「助けて!」と女は中国語で叫んでいた。
一挙に酔いが吹っ飛んだ祐介の眼に、女の後ろから追い駆けて来る黒い人影が見えた。
女が突然祐介の胸に飛び込んで来て、彼女の肩越しに、男が迫って来る。
生まれてこのかた喧嘩らしい喧嘩などしたことがなかったが、女は祐介にしがみついており、やむなく暴漢らしき男と対峙することになった。
正直なところ、驚きのあまり何が起きたのかはっきり記憶にない。暴漢に向かって、警察を呼ぶぞ、みたいなことを中国語で叫び、小学生時代に習った空手の型で身構えた憶えはある。第三者の登場にひるんだのか、暴漢はくるりと背を向け走り去ってくれた。
「大丈夫ですか?」
祐介が女に中国語で尋ねると、彼女はやっとしがみついていた手を放してくれた。
恐怖のためか小刻みに震えていたのは、びっくりするほど綺麗な二十歳ぐらいの若い子だった。街燈の薄明りに照らされた肌は抜けるように白く、まだ恐怖に怯えているらしい黒い瞳が、すがるようにこちらを見つめている。美しい瞳に、まるで呑み込まれそうになる。
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