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しかし、どうしても辞めざるを得ない事情があった。表沙汰になった不祥事ではなく、上司も含め領事館の誰もが知り得なかった、深い闇に葬った事件である。
あの時、組織を捨てたばかりでなく、たぶん、日本を捨てた。
だが、それで何を失っただろうか? 外務省に入省し語学研修で中国に振り分けられた時から、英語圏に留学し次官まで上り詰めるコースからは早々に外されたわけで、末は駐中国大使がせいぜいの人生だ。
それだったら、民間で個人プレーを続け、日中関係に貢献する方が賢い選択というものだ。
祐介は胸の内でそう自己弁護しながらも軽い溜息を洩らした。
「敦夫、お前には組織の頂点に上り詰めて欲しい。視聴率第一主義だったら、それに殉じればいいじゃないか。テレビ局だって民間企業だ。視聴率を伸ばして広告収益を増大させ、事業を回す。金がなくては作りたい番組だって作れないだろう?」
「しかし公共電波を使うテレビ局には報道という使命がある。製作費が安くてコスパがいいからと低俗なバラエティー番組を大量生産し、視聴率が上がるからとスキャンダルを追い、矮小な政権叩きにばかり精を出す。そんなことでテレビが使命を果たしていると、言えるだろうか」
使命、という言葉を久し振りに耳にした。
使命。いったい今の世に、使命感だけで生き延びることができるだろうか。
「敦夫、あまり難しく考える必要はないんじゃないか。ボスにならない限り俺たちは組織の駒に過ぎない。組織の意向に沿って動かないと、外に放り出されるだけだ」
祐介としては冗談のつもりだったが、敦夫がふと真剣な表情を浮かべた。
「それなんだ。部外者のお前にはわからないだろうが、実は討論番組のゲストを選ぶ際にも組織の意匠が働いている。うちの会社は対中強硬論を唱えるやつ、中共の悪口をまくしたてるやつは絶対呼ばない。
上層部が中国に弱みでも握られているのか、それとも中国企業に身売りでも考えているのか、と勘繰りたくなるぐらいだ。ま、そのお陰で、お前みたいに中国通で且つ中国企業を顧客に抱えている専門家は格好の論客ということになる」
褒められているのか貶されているのか定かではなかったが、祐介は苦笑した。
窓の外に広がる夜景が、再び浦東の高層ビルからの眺望に重なる。
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