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「嬉しい。また聴きたいって思ってたの」
穏やかに微笑みながら小さく拍手をくれる未華子ちゃんを不意に抱きしめたくなった。ギターが邪魔するから、という無理やりな理由を自分に言い聞かせて、思い留まった。
「唄ってくれてありがとう」
「こちらこそ、聴いてくれてありがとう」
互いにそう言い合ったらなんだか照れくさくて、二人で笑った。
「いつ、東京行くの?」
未華子ちゃんが尋ねる。
「あ、言ってなかったね。明日の午後の新幹線で行くよ」
「明日!? ……そっか、明日か……」
そう呟いて彼女は目を伏せた。けれどすぐに顔を上げて再び微笑んでみせた。
「応援するね! 私、夕穂くんのこと!」
寂しさを隠しきれない、けれど前向きな笑顔で彼女はそう言ってくれた。出会った頃のどこか無理に作っていた笑い顔とは違うのがわかって、俺はそれがとても嬉しかった。
ありがとう、と俺は頷く。
「あの、ごめんね、私……酷いこと言って。夕穂くんが受けたスカウトは嘘だなんて勝手に決めつけて……」
「いいんだよそれは。俺こそ……祭りのときは酷かったよね。置いて帰るなんて最低だよ……ごめん」
ううん、と彼女は微笑んでくれる。
あのね、私、と彼女が言葉を続ける。
「本当に知らなかったの。夕穂くんがね、教一さんと知り合……」
「あぁ、ごめん、もうしないで、その話は」
不意に思わぬ話題が出て、俺はつい動揺して彼女の言葉を遮ってしまった。彼女にまたごめんと俯かせてしまう自分が嫌になる。
「俺は」
深呼吸を何度かして口を開く。顔を上げた彼女をまっすぐ見つめて、俺は自分の気持ちを伝える。今言える、精一杯の思いを。
「俺は辞めないから、音楽」
それを聞いて、彼女は嬉しそうに笑ってくれた。
「君が、俺の歌を好きだって言ってくれたから。未華子ちゃんが、俺の歌に救われたって言ってくれたから。だから俺は歌を続けようって、もっとちゃんとやっていこうって、決めることができたんだ。俺は、未華子ちゃんのために唄いたいと思う」
彼女が微笑んで頷く。
「たとえ……未華子ちゃんが他の誰かと幸せになるとしても」
けれど俺が付け加えたそんな言葉に、彼女は息を飲んで言葉もなく首を横に振った。その仕草の意味を、今は聞かないでいようと思う。
一瞬は驚いていたけれど、俺のそんな心の内を認めるように彼女もまた静かな微笑みで頷いた。
二人の間を通り抜ける冷たい夜風が、共に過ごした季節の終わりを緩やかに告げる。
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